おたくのテクノ

ピアノ男(notピアノ弾き)のブログ

枯山水とバーチャルリアリティ(05/20日記)

大徳寺に行った。ご家族に連れられて行ったので、どの塔頭に行ったかはあまり覚えてないが、3〜4ぐらいの塔頭を拝観した気がする。

ご本尊やら、建物の構造・建築やら、見所は多い。ただやはり見所は、禅宗特有の枯山水だろう*1

枯山水については何の前提知識もなかったのだが、寺の説明員(と言えばいいの?適切な言葉がわからない)が、大きな石や砂紋がどのような意図で配置されているのかを丁寧に説明いただいたので、「風情があるな」で終わることなく興味深く観ることができた。

塔頭ごとに、枯山水によって表現されている事物が様々あるのがまた面白い。ある塔頭の非常にこじんまりとした枯山水では、水が水面に落ちる様子を石と同心円状の砂紋で表現することで、曹源一滴水*2という禅語を表現していた。ある塔頭枯山水では、まだ入門したてで雑念にまみれた状態から涅槃の境地に達するまでの流れを、石の物量や上流から下流へ向かうような砂の流れで表現していた。

あるいは大海を表した庭園を縁側に座って眺めていると、自分の座っている縁側は大海の岸辺であるかのように錯覚させられる。

ところで、バーチャルリアリティ学会(の舘先生)は、バーチャルリアリティを次のように定義されている。

「みかけや形は原物そのものではないが,本質的あるいは効果としては現実であり原物であること」

(引用元:日本バーチャルリアリティ学会 » バーチャルリアリティとは)

ただただ山に行けば転がってそうな石や砂を、空間配置だけで現実の水滴や川に見せようとする様、それどころか禅の持つ世界観・仏教観に我々を没入させてくれる枯山水。約1000年前から存在する強烈なバーチャルリアリティだと私は捉えている。HMDを用いたバーチャルリアリティが盛り上がっている昨今、確かにHMDバーチャルリアリティ提示装置としては優れているが、たまには古来から存在するバーチャルリアリティも体験してみてほしい。バーチャルリアリティとして見なくても、気持ちが落ち着くとか多分ある。

*1:大徳寺臨済宗

*2:非常にザックリ言えば、たった一滴の水にも大きな可能性があるのだから、たかが一滴だからと粗末にするなよ〜という話らしい