今は仕事を完全に家でリモートでやっている*1。全くの無音だと発狂しそうになるけど、音楽をかけると聴き込んでしまうので、いつもBGM代わりにテレビを垂れ流しにしている。テレビだって見入ってしまうと思いきや、意外と実家時代の慣習が身についているのか、音楽以上にBGMとして受け入れられる。
さて、なぜなのか分からないが、昼間にカンテレで電車男が再放送されていた。昼食休憩にして、少し視聴してみる。今となっては時代遅れを通り超えて古典レベルのヲタク像。無理もない、驚くべきことにもう18年も前の作品である。にもかかわらず劇団ひとりはあまり今と変わらない印象で二重に驚き……
「ピアノ男」は、小学5年生頃からインターネット上でのHNとして使用している名前だ。電車男は言わずもがな由来の一つである。放映当時小学4年生であった私は、2ちゃんねるや面白フラッシュ、アスキーアートを知ってドハマりしていた。リアルとセルアウトの違いが分かるわけない私は、当然電車男にも熱中したのであった。9時には寝るよう義務付けられていたので、リアルタイムで見れた回数は少ないのだが……。
今改めて電車男に触れ「ピアノ男」という名前について考えてみる。
由来は名前をつけた当時電車男が好きだったのと、当時ピアノにハマっていたからつけた、と昔から公言している。
だが、そもそもピアノは大して弾けるわけでもないし、ピアノに関してマニアでもない。さらに言えば電車男が好きかと言われるとそれも微妙だ。
電車男放映当時(2005年)は、2ちゃんねるネタやAAをインターネット以外の場で摂取できる事に価値を強く感じていた。地上波で爆笑問題太田が2ちゃんねるに言及してると嬉しかったし、本屋で2ちゃんねる本があると立ち読みした。田舎の10歳の2ちゃんファンとはそういうものだ。パソコンができる時間は制限されており、掲示板そのものを深堀りはできない。2ちゃんネタに餓えていたのだ。電車男も2ちゃんネタ摂取のためだ。だから電車男が好きというよりは、電車男に出ている2ちゃんネタ・AA・ヲタクが好きだった。ストーリーなんかは10歳の自分にはあまり理解できない話だったと思う。
電車男を改めて視聴してみると、恐らく2005年当時から見ても古典的なラブストーリーで、古典的であることの良し悪しはともかくとして、エルメスタソが電車男に惹かれていく過程は都合が良すぎて結構厳しいものがある。電車男のブーム自体がヲタクへの偏見・固定観念を加速させた、という思い込みもあって放映後数年間は個人的に電車男への嫌悪感もあった覚えがある。というわけで電車男は多分あんまり好きじゃない。
さらに言えば、2ちゃん(5ちゃん)自体があまり好きじゃなくなってきたというか。数年前まで散々2ちゃんやおもしろフラッシュ発祥のネタに影響を受けた制作をしてきてて言うのもなんだけど、「インターネット系」として自分が括られることに拒否反応が出つつある。「インターネットやめろ」「ここはひどいインターネッツですね」などの言葉に見られるように、そもそも「インターネット」*2をやっている人はインターネットに対して自嘲的な傾向があるのだが、今やそういう自嘲的な空気感も込みで拒否反応がある。ていうか「インターネット系」って、めっちゃバカにされてるような言葉に感じる。なぜバカにされてると感じるのかと言うとまだ説明できないのだが……。
というわけで、ピアノ男という名を名乗るにはあまりにも実態と乖離があるし、ピアノを弾ける人だと思われる弊害がかなりデカいので早く改名したほうが良いぐらいなのだが、17年この名前を使っていると、今更変える気にはなれないのである。カルマを背負っていくしかないのだ。
*1:本当に体調崩すからやめたほうがいい
*2:広義のインターネットではなく、インターネット老人会みたいな言葉で形容されるようなインターネット