おたくのテクノ

ピアノ男(notピアノ弾き)のブログ

「MAD IMAGE」観た。MADとアニメについて

興味深いことに、9月11日に梅本佑利「音MAD~デジタル・マキシマリズムと音楽~」が横浜みなとみらいホールで、9月12日からは名もなき実昌と梅沢和木によるキュレーションのグループ展「MAD IMAGE」がミヅマアートギャラリーで開催された。

ハイカルチャーと言われるようなフィールドの、それも大変名の通った場所で、日本のサブカルチャー文脈で作り上げられてきた意味での「MAD」の名を冠した催しが2日立て続けに行われたのは偶然にせよ興味深い。

残念なことに音MADのほうは都合がつかず行けなかったのだが、梅本さんの作品はYoutubeなどで耳にしていた。

 

さて、MAD IMAGEを観に行った。オープニング日に行ったので、作品一つ一つをしっかりとは観れなかったのだが……。

梅沢さん・実昌さんキュレーションということもあって、カオスラやネットレーベル、2009〜2010年頃のTwitter周辺の空気感と地続きな雰囲気があって、懐かしい気持ちになった。私は当時当時自分は巨大なイオンモールだけが煌々と明るい三重県の高校生だから、本当にTwitterを通してでしか知らなかった。逆に言えばTwitterを通してシーンに居たという感覚がある(バカガキだったので真面目な人には相手にされてなかった気もする)。imoutoidなんかは自分がネットレーベルを知った数ヶ月前ぐらいに逝去されたため後追いでしかないのだが、少し熱い気持ちになって聞き入ってしまった。現場を見てないのに懐かしいという妙な気持ちになった。

 

ところで梅本さんの「音MAD」も今回の「MAD IMAGE」もそうなのだが、二次元美少女キャラクター表象、もっとぞんざいに言うとオタクアニメからの影響や引用がかなり目立つ。これらの催しに限った現象ではなく、日本のMAD、ナードコア、2010年代以降のクラブシーン、キャラクター絵画……日本においてサンプリングや二次創作を取り扱う分野で顕著に見られるものだと思う。

先に断っておくと、私はオタクアニメにかなり興味がない。よってこれから書くことは、オタクアニメに興味がないというバイアスゆえに客観的に見れば実情を反映していない考えも含まれていると思う。なので差し引いて読んだ方がいいだろう。ただ予防線を張っておくと、はなから嫌いというわけではなく、自分も高校生の頃はけいおん!らき☆すたを熱心に観るなど10年代オタクらしいムーブをしていたし、今もダンダダンとかは視聴する。

そういう予防線を貼った上で言いたいのは、みんなアニメの話ばっかりしすぎなんじゃないかと常々思っている、ということだ。なおこの場合のアニメには、でこぼこフレンズやおじゃる丸はなかっぱ、しまじろうなどといった児童・幼児向け作品は含まれない。

 

MAD IMAGEでの名もなき実昌さんのステートメントの一文を引用しよう。

MADと呼ばれる文化がある。主にインターネット上で、既存のアニメやゲームなどの映像・音声を編集して作られた二次創作作品を指すこの言葉は、少なくとも1990年代以降、アングラな創作として営まれてきた行為だ。現在では、商業的な領域にまで侵食している。本展ではこの「MAD文化」を起点に、解体と再構成という創作の営みについて考えてみたい。

MADの説明で真っ先に「アニメやゲーム」が来ている。MADの起源は諸説あるが、一旦ここではニコニコ動画を中心に発展した時期からのMADにスコープを絞って考えよう。「アニメやゲーム」がまっさきに来るのは無理もなくて、アニメ・ゲームMADは確かに昔から十分多かったし、今も十分多い。その上、実昌さんはアニメキャラクターに関心があるとプロフィールにも書いているのだから、そう言う説明になることも理解できる。

しかし、私からしたらMADはアニメやゲームなんかよりもドナルド・マクドナルドだし、「おめーの席ねぇから!」だし、ヒカキンだ。再生数上位を鑑みても、アニメより前には来なくてもゲームより前には来るんじゃないかと思った。とはいえ、説明する上でドナルドやヒカキンをどうカテゴライズするのかは難しいし、もはや今のMADの本当のメインストリームって淫夢あたりなんじゃないかと思ってしまったが、それも倫理的に問題があるから、仕方ないとしよう。ただ、「アニメやゲーム」が真っ先に来ているこの文章には、「MAD」や「ナードコア」自体を外部から語るテキストや催しに対して私が常々感じていた違和感が現れているなと思ってしまった。

 

事実今回の出展作品は、自分の記憶では8割がた、萌えアニメ・キャラクターがサンプリングされていたなぁと思う。実昌さん・梅沢さんキュレーションかつ、カオスラの文脈を汲んでいるのだろうから、そうなるのは分かると言えば分かる。その上で、じゃあなんでカオスラの時から今までずっとアニメサンプリングなんだろう、と思う。

ただ全部が全部アニメサンプリングだったというわけではなくて、たとえば竹久直樹さんは今回写真作品を出展していて、それはまるでアニメ・ゲームの片鱗もない、写真を撮るということ自体に言及した作品だった。記憶がちょっと曖昧だが、竹久さんと話をしていて「実昌さんはアニメじゃないMAD成分として自分を入れてくれたのかなとも思ってる」といったようなことを言っていた。私は写真に関して本当に疎いので、なんかいいリズムだなぐらいで見てたのだが、本人から作品の意図を聞いてみたら、ステートメントにあった「解体と再構成という創作の営みについて考えてみたい」の部分を、私好みの形で提示された感じがあった。アニメ・ゲームへのカウンターみたいな取り上げ方をここで私がしてしまうのはだいぶ良くないと思うが、自分はかなり関心を持てた。逆に言えばもっとこういう機軸の人が増えて欲しいなと思った。

 

取り扱う記号がアニメだろうがアニメじゃなかろうが本質的にはどちらでもいい話なのかもしれないが、なんで記号がアニメなのかということはよく考えたほうがいいよなと思った。自分がそういうので育ってきて好きだから、と言われたらそれまでですが。

 

今となっては本当に恥ずかしい過ちなので、二度と同じ過ちを起こさないように書いておきたいことがある。

大体2010年代前半だったのだと思うけど、昔ナードコアでも同じような気持ちになったことがあった。当時、主にニコニコ大百科などで「ナードコア=アニメオタクハードコア」とでもいうような説明をされていて、特にシャープネルさんなどはずっと人気だったこともあり、かなりアニメハードコア=ナードコアという解釈が蔓延してる時期があった。このような解釈は部分的には合っているのだけど一側面でしかなくて、ナードコアとして括られていたアーティストの曲を聞いてみるとアニメハードコアではない曲はかなり多い。やや偏った見方がされていたことについて文句を言っていた人が少数ながらいて、私は偶然にも思春期という血気盛んで荒々しい時期にそういった事情を察してしまったため、アニオタハードコア許すまじ!という誤った正義感を醸成されてしまい、ニコニコに投稿されてるアニメハードコアに「ナードコア」タグがついていたら、タグを消すという本当に全てが間違っていることをやっていた。本当に申し訳ありませんでした。

 

脱線してるので、いや何が本線なのかも分からないのだがMADに話を戻すと、自分がMADに望む部分って、アイロニーとか冷笑とかを熱心にやるところ、あるいはアイロニーや冷笑じゃなくても熱心にふざけるところ、海賊王なところなんだと思う。自分がアニメMADにのれない理由というのは、熱意の方向が素直にサンプリング元のアニメの良さとか萌えとかを享受できそうなところに向いてるあたりなのかもなと思う。そう考えると別に冷笑系アニメMADとかもあるわけで、それならのれるかというと、アニメに興味がなくて見てないだけで、のれる可能性はあるのかもと思う。

しかし、サンプリングされる側からしたら素直に良さとか萌えとかを享受されたほうがまだ救いがあるわけで、そう考えるとただただ自分は腹切りするしかない考え方をしているなと思ってしまった。

そういうわけで、今後は腹切りしなくて済む理屈を考えるとか、一緒に腹切りする仲間を探すとか、腹切りをしまくるとか、していこうと思った。あるいは腹切りを指切りに変えるでもいい。

 

あとこれを機にモダニズムのナード・コアを読みたいなと思った。私は本当に上で述べてたようなバカガキだったから、最初にモダニズムのナード・コアの名を知った時はなんかよくわからないけど軽く怒っていた。冷静に考えたらマルチネアンチのネットレーベルを一人プロレスでやってたぐらいなんだから、もしかしたらカオスラ周辺にも一人プロレスではあるものの怒ってたのかもしれない。回り回って心の底から読みたいと思えるようになるとは思っていなかった。残念ながら結構前から入手困難になっていて買えません、なんとかしてください。

 

今思い出せることは以上だ、硬い文章書くの苦手なので話を聞いてくれる人がいたら嬉しい、聞かれても話せないか意味分からない事ばかり言うと思いますが……。

4パターンの懐古

私はどうも昔話が好きなようだ。かなり懐古趣味だという自覚もある。

普段、気がつけば自分が子どもの頃の話をしている。自分の活動10周年の時は10周年記念講演と称して活動の軌跡を振り返ったし、去年はネオチネレコード終了11周年記念と称してコンピレーションを出した。

音楽の趣味も懐古的で、今は00年代のアジアのダンスミュージックとか90年代のヒップホップ・エレクトロに興味がある。これが5~6年以上前とかだと、90年代のガバに興味があった。自分が作る楽曲も、どこか古めかしいテクスチャが見え隠れしているのかもしれない、それもそのはずだ、90~00年代に出たサンプリングCDやシンセサイザー(をシミュレートしたプラグイン)を使っているのだから。

グラフィックスもそうだ、今は90~00年代のまだPhongシェーディング全盛期でPBRなど無い頃の3DCGに興味がある。5~6年前だとVHSの質感に興味があったし、自分が高校生の時は8mmフィルムの質感に興味があった。8mmの機材は高校生に手が出るものではないので、フリーのシミュレートプラグインで満足していたのだが。

ただ古ければよいわけでもなく、自分のストライクゾーンはきまって15~20年前だ。今や昭和レトロにはあまり興味がない。でもこのストライクゾーンは自身の年齢と同時にスライドするものだ。自分が子どもの頃(2000年代初頭)の20年前というのは1980年とかになってくるので、昭和に興味があることになっていて、事実昭和レトロに興味があった。岐阜の日本昭和村に連れてってもらった時は嬉しかった覚えがある。

古すぎるとまるで興味がなくなる。日本史の授業は明治以降の歴史にしか興味がなかった。西洋化が進められる明治以前、江戸や戦国時代というのは自分には想像の範疇を超えるというか、ファンタジーすぎる。自分はファンタジーの世界観にかなり興味がない。マリオは興味を持てるけどゼルダには興味を持てない。脱線した。

 

〜〜〜

 

懐古とか、ノスタルジアなどというのは、あまり喜ばれないものだと自分の肌感では認識している。

成長が止まってしまう、オトナ帝国になる、良かったとこしか見れてない、シンプルうぜえ、というのが自分の頭で考えられる喜ばれない理由だ。本当のことだと思うから何かを懐古するたびに頭に留めていることなのだが、しかし全ての懐古がそうかというと、私はそうは思えない。

懐古趣味にも4つのパターンがあると思っている。それは以下の通りだ。

  1. 自分がかつて経験した物事に対する懐古
  2. 経験したけど物心がついてなくてよくわかってなかった物事に対する懐古
  3. 自分が生きた時代のものではあるが知らなかった物事に対する懐古
  4. 自分が生まれていない時代の物事に対する懐古

この分類の意図として、知識ベースではなく主に体験ベースで、対象の物事にどれほどかつて関わりがあったか、という度合いで分けようとしている。

このうち自分の子どもの頃の昔話というのは、子どもだから物心はついてないといえばついてないのだが、詳しく語れるという意味で1と言えるだろう。(だからもう少しいい分類の仕方があるかもしれない)自分の10周年記念公演とかは1そのものだ。

平成生まれの自分がかつて昭和レトロに興味があり楽しんでたというのは、完全に4だろう。これは懐古する当事者の体感としては、懐古というよりは新しいものを享受するのとほぼ等価ではないだろうか?この体感としての新しさは、4から1に行くにつれて薄まっていくと考える。

ここ数年はY2KブームがZ世代を中心に起きているとかなんとか言われているが、これは自分の直感では、というかギリZ世代に入らない94年生まれの自分ですらせいぜい2~3の形での懐古だと思う。これがFurtiger Aeroとか初期ニコ動とかぐらいの感じになってくると、もう自分は1に差し掛かってくる。

ガバは原型が91年頃にできて、私が特に好きな美味しい時期のガバというのは94年〜99年ごろ。私は94年生まれなので、概ね4〜3、わずかに2があるかぐらいだろう。今の興味である00年代のダンスミュージックとかは、3または2で留まっているが、このままスライドして10年代のダンスミュージック懐古とかになると完全に1になる。

 

1の懐古と、2〜4の懐古は、懐古は懐古でもまったく別物だと思う。暴論気味になってしまうが、2〜4なんかはオルタナティブな、あるいは全く新しい解釈が発生しやすい、温故知新となりやすい懐古だと思う。論語を読んだことがあるわけじゃないので、1は温故知新にならないと自信を持っては言えないのだが、それでも2〜4からの温故知新とは明らかに質が違うと思う。

こういう温故知新の懐古は必要だと思っている。一般論だが、何もリファレンスのないままに新しいものを考えてみようとしたところで、凡百の人間が思いつく事にしかならない、大量生産大量消費の現代においては轍を踏みまくることでしか新しいものというのはなかなかできないだろう。新しい事がいい事なのかという議論は今回はしない。2〜4でも、温故知新の態度がないのは私はちょっと厳しいものがある、消費するだけなら別に何でもいいんだが、創作の話とかになってくると少なくとも自分は惹かれない。「あえてゾンビ的に再生産する」というのは既に90年代頃にやられているようだし、それをあえてもう一度やっても特に良くはない気がする。

さらに2~3の懐古は、4とは違って自分の原体験とか、自分の世代という属性のことを知る事にも直接繋がってくるから、自分らしさみたいなものについても一緒に追求しやすそうに思う。いやどうだろう、わからない、3はむしろ4に近くないかとか思うところはある、雰囲気で書いている。あとでよく考えておく。

さて、じゃあ1の懐古は新しさに繋がらないからダメかというと、それもそうではなくて、語り継がないと消えていく歴史はある。消えてしまった歴史を温故知新することはできない。一次資料を作れるのは、当時を経験した人だけだ。

 

良くない懐古というのは、一つは、日常生活で既にした昔話をひたすらしつこく繰り返すこと。私はこの気があるので恐ろしい。戦争の記憶伝承とか、そういうケースではなんぼでもしたほうがいいと思うが。日常生活で、どうでもいい思い出について何度も語られると単に鬱陶しいだろう。

もう一つは、昔は良かった、今はダメだ、と善し悪しの判断に繋げること。「昔」の良くないものは、淘汰されて見えなくなっているだけ。「今」はそれが良いものなのか判断が定まりにくい時期だし、良いものはある。

そういったことを避けるようにだけすれば、懐古というのは堂々とガンガンしたほうがいいのかもなと、少し思うようになった。

 

ここまで書いたが、こういうことは既にいろんな人がいろんなフォーマットで同様のことを論じていると思う。ちょっと検索しただけで似たようなことを言ってる人をいくらか見つけた。温故知新が足りてなかった。しかし、誰もが語るような事でも自分の経験に照らし合わせて自分の言葉で書いておくのは、今の自分の考えの限界を知るという点で必要なんだと思った。どんなオチ?

地元と文化活動の思い出(地元でのライブの思い出)

美術手帖の編集長が帰省中に『巨大なイオンモールだけが煌々と明るい地方都市に帰省すると、美術の「美」の字も見つけられないと』ツイートしたことが炎上していた。

調べるとどうやら編集長は私の地元・伊賀市のすぐ近くの鈴鹿市出身らしい。

鈴鹿の事情はあまり知らないが、伊賀で活動するアーティストは実際少数ながら居るわけで、それを思うと不用意な発言だと思う。しかし、編集長と同様に地方から関東の都市部に行き着いた者としては、ぼんやり共感せざるを得ない部分もある。"巨大なイオンモールだけが煌々と明るい"というのが大きなポイントだと思う。

私の住む伊賀市は6市町村が合併してできた市で、田畑しかない村部もあれば、イオンやゲーセン、ハードオフがある比較的栄えたエリアもある。栄えていると言っても都市ほどではなくて、「2021年にスタバが初めて出店され、初日に50人行列ができた」というニュースが物語っていると思う。あとは車前提で店が配置されているので、車がなかったら平気で30分ほど自転車を漕ぐことにはなる。完全に車社会です。

自分はどちらかと言えば栄えている側に住んでいたのだが、この中途半端さは意外とコンプレックスなのである。恥を忍んでそのしょうもない理由を述べると、マジで田んぼしかない清々しいぐらいの田舎だと強力な田舎ボースティングができるのだが、我が地元のような半端さだと田舎自慢でいつも負けてしまうし、当然都心のあらゆるアクセス性の良さにも負けるのだ。勝ち負けとかじゃないのは承知で、そういうことを思ってしまうのである。

美術館と言われて思い当たる場所は県立美術館かルーブル彫刻美術館ぐらいで、祖父が県展で賞を取った時ぐらいしか行った覚えがない。ルーブルは今となってはめちゃくちゃ行きたいのだが……。著名な出身画家に元永定正が居るが、それを知ったのはここ数年ぐらいだった。色々見たければ大阪か名古屋に車か電車で1〜2時間かけて行く感じだったと思う。でも美術に興味なんてなければ他のところに行くだろう、私も名古屋といえば婆さん家かポケモンセンター大須だった……。なんで自分が今美術にある程度興味を持てているのかよく分からない、同郷で同世代のアーティストも若干名知っているが、なんで美術に興味を持ったのか聞いてみたい。。

地元に限ると、何も知らない学生が例えばコンテンポラリーアートに触れる機会などというのは、教科書・テレビ・インターネットぐらいだったように思う。

 

〜〜〜

 

これ以上美術の話は自分にはできないので、自分の話をしようと思う。

今、自分はいち小企業の会社員として(あんまり言ったらダメかもしれないが)業務以外の話をあまりしないドライな日々を過ごしている一方で、音楽をはじめとする制作活動の結果、幸いにも様々な人達との関わりの中でも暮らすことができている。

自分は中学生頃から音楽・映像制作を始めて今に至っている。だから、自分が大学進学のために地元を出るぐらいまでの話をしようと思う。

 

自分はそもそも結構な恥知らずだ。ピアノ男という名前は、小4ぐらいの時に電車男をはじめとする2ちゃんねる関連コンテンツにハマっていたのと、ピアノを習い始めた頃だったので、チャットサイトのハンドルネームとしてピアノ男と名乗ったのをずっと使い続けているだけというものだ。中学で吹奏楽部に入り担当楽器がバリトンサックスになった頃は、サックス男と名乗っていた。本当に恥知らずである。

自分はナードコアと呼ばれるような音楽を起点に種々の電子音楽を作っていくことになったのだが、そのきっかけの大部分はインターネット、特にニコニコ動画ツイッターがあったからであって、地元にはそうなるようなキッカケとがあると言えばビートマニアハードオフぐらいだと思う。それがあれば十分か。クラシックや吹奏楽のコンサートはあるが、テクノというものは高校生の時に一度公園で「伊賀忍者音楽祭・IGA NINJA ROCK FESTIVAL」なるものがあったぐらいで(都合が合わず行かなかった)、クラブミュージックなどというのは当時は皆無だったように思う。せいぜいヤンキーのレゲエやダンス教室のヒップホップが限界だった。あとはブックオフによくあるジュリアナやダンスマニアのコンピ。トランス聴いてるヤンキーにはちょっとフィールした。

 

自分で言うのは恥ずかしいのだが、代表作に名張マックスバリュでのライブがある。

www.youtube.com

未だにこの動画をこすられ続けるし、正直自分でもこれを超えるライブをできた自信はない、呪いのようなライブだ。

これは私が高校一年生の時のものだ。既に音MADをきっかけにパソコンで音楽を作りはじめていた頃だ。いわゆるトラックメイカーというスタイルのミュージシャンのライブは未だに謎が多い。一本wavを流すだけの人もいるし、なんかコントローラとかシンセとか触ってる人もいるし、歌う人もいるし、不定形で何をやったらいいのかよく分からない形式だ。

地元には音楽を作っている友達や先輩など全く居なかった。文化祭があったのでバンドはかろうじて経験したものの、一人でパソコンで作った音楽でライブする方法など知るわけがないし、できる場所も知らない。そんな中、学校から

「NABARIストリートフェスタというのをやります。ダンス、BMX、ライブ、何か発表したい人を募集します」

といった趣旨のチラシを配られて、私はとにかく恥知らずで自己顕示欲が強かったので、後先考えずに応募したのであった。

応募したはいいが、作った曲をどうやってライブするのか。手探りと言うと聞こえはよいが、これは多分かなり勢いでやっていて、ツイッターで「昔のガバの人はウォークマンで曲を再生してライブしていた」という謎情報を間に受けたり、Youtubeで見たYMOのボコーダに影響を受け中学の卒業祝いで買ってもらったmicroKORG XLを使ってみようと思い至ったりを経て、

iPodで曲を再生しながらmicroKORGのボコーダで歌う」という形式に至ったのだった。

 

当日。こういうスタイルのライブで出ようとする人はやはり私しかいなくて、周りはBMXやダンス・バンド・弾き語り・高校生と市長の座談会だった。普通なら不安になるのかもしれないが、自分はとにかく恥知らずだったので何も怖く無かった。

今や高校生はおろか小中学生でもアプリで音楽を作って発表できるわけだが、当時は全国的に見てもかなり少数派だったわけで、幸いにもTwitterなどで知り合った4人の大先輩が、私は何も頼んでないのに遠くからかけつけてくれて、衣装を提供してくれたりUstream配信なりYoutubeへのアップロードなりをして広めてくれた。おかげでいろんな繋がりができて、高校生のうちから滋賀や名古屋・大阪のクラブ、果ては東京のリキッドロフトなんかでもライブをやらせてもらえたし、同じように各地方で曲を作ってる同世代たちともネット上で交流ができた。

 

しかし、やはり地元にはありがたいことに友達こそいたものの、やはり自分の好きな音楽の話を深くできる友達は全くできなかったなと思う(音ゲーの話をできる友達はいたが)。その後は地元で活躍することもなかった。文化祭にソロで出たり自動車学校でやってた謎イベントに一度出たりしたことはあったが、その頃にはスカムミュージシャンの動画の影響を受けてこじれた方向にいっちゃって、あんま理解されてなかったと思う。それに、コンスタントにライブできそうな場所も地元には見つけられなかった。電車で2時間かけて大阪なり滋賀なり名古屋なり行けばいいし、話の合うやつはネットで探してOFFすればいいのだから、もはや地元を開拓しようという気持ちもなかったのだと思う。

そういうわけで、NABARIストリートフェスタのような機会があったことにすごく感謝するし、地元の人々のフッドを盛り上げようという気概に大変頭が下がる思いではあるが、結局インターネットが自分には一番フッドに感じてしまう。インターネットが無かったら音楽活動を続けてたか、そもそもやっていたかも怪しいと思ってしまう。だから今のTwitterをはじめとするSNSの惨憺たる状況は悲しいし、かと言って見捨てることもできないままなのだ。

そして、自分が実は美術に近いことをやりたかったっぽいことに当時気づくことができず、ただパソコンが好きだからという理由でコンピュータサイエンスの学部を選択、大学進学とともに京都に移り、深い考えもないままそのまま10年間京都に居続け、成り行きで今は神奈川に居る。でも美大じゃなくて理工学部だったことは意味があったと思うし、それはすごく贅沢でありがたいことだと思うし、京都での経験は何物にも変え難いものだったし、なんだかんだこの道のりで良かったと思えている。

 

〜〜〜

 

ここ1年ぐらい、祖父が亡くなったので都度帰省している。私が地元で暮らしていた頃は10万ほどだった人口も、今や8万人台になってしまった。イオンに行けば、本当に老人しかいなくて面食らう。かといって若者が全くいないかと言うとそうでもなくて、調べてみると、若者主導で音楽イベントを定期的にやっている動向もあるようだ。地元の情報誌でも私より若い人とかが色々やってる情報を見る。

でも、そう言うところに自分が入っていけるかというと、高校生の頃の恥知らずな態度があれば行けるのかもしれないが、30歳になった今は色々考えてしまって難しい。都心では自分は全然はみ出し者ではないのかもしれないが、伊賀のイベントのメンツを見ると、中学の吹奏楽とかダンスとか弾き語りとかが並ぶ中に自分というのは、やはり相当にはみ出し者だと思ってしまうし、自分の家族やその友人の顔がチラついてしまう。普通に恥ずかしくなってしまう。流石に高校生の時の私でも親は呼ばなかった。

今は全国的に音楽が訳わからない状況になっているので、もしかしたら自分のようなはみ出し者でも優しく受け止めてはくれるのかもしれない。ただ、ロン毛の男が、ローカル鉄道の駅前の駐車場で、難しい顔でパソコンを触りながら、ドナルドikedaだとかよく分からないことを言ってピーピーブーブーと鳴らしているのを、コンスタントにやり続けているビジョンを描くことを、自分はどうしてもできない。ウケるウケないとかもあるけど、それより同じようなことをやっている・やろうとしている人の潜在的な数にかなり厳しいものがあると思う。

なにより、ロン毛の男が伊賀で平穏に暮らせるビジョンを、今はあんまり描くことができなかった。それは家族や親戚、地元の人とのわずかな関わりの中で感じたことだ。それでもそこを突き抜けてやれる人は、相当素晴らしい人だと思うし、なんか大事にしたほうがいいと思う。地方の問題というより自分のコミュニケーション能力の問題なのかもしれない。

同級生の連絡先も正直あんまり知らず、知ってたとて伊賀を出ている人が多い。新しい友達を探せる自信もない。あらゆる方向に申し訳ないけど、伊賀に戻って住むことは今後10年はない気がする。

でも、やっぱり未だに忍者に頼りすぎてる地元はどこか愛らしいし、かた焼き好きだし、榊莫山はマジでリスペクトしているし、同郷の人は応援したい。夢眠ねむさんが伊賀出身でよかったと思う。

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自分のような態度の人間は、地元や同様の地域に暮らし続ける人から見たら、感じが悪く見えるところがあるかもしれないと思って、このことを公開で書くことにはちょっと迷った。でも書かずにはいられなかった。とりとめもないのだが。

2025年5月までの読書録

定期的に読書録を書いてたと思うのに最近書いてなかったな、と思ったらなんと既に1年も書いてなかった。ので覚えてる範囲で書くことにする。

読み終えた本

やなせたかし - アンパンマンの遺書

やなせたかしの妻視点の朝ドラがやっているとはつゆしらず、文化庁文化政策アーカイブをdigってたら偶然やなせたかしインタビューを発見*1、そのヤバさに食らって思わず購入。ちょうど同じ頃にNHKでやってたやなせたかしのアニメ映画「ハルのふえ」にガチ泣きし、爆問学問で90を超えているにも関わらずシャンとしているやなせたかしの姿を見て再度食らっていた。

やなせたかしは60だか70だかの時にアンパンマンが大ヒットしていわゆる「芽が出た」というような状態になった、大器晩成と評されるような人だ。それまでは、本業の漫画のかたわら舞台美術やら放送作家やら作詞やら、色んな仕事をやっていて、本の中で「挫折というのは途中で駄目になることだが、ぼくは四十歳を越えてもまだ自分の方向がまったくわからず、五里霧中で、挫折どころか、出発していなかった。」と本人は自虐的に言う。

本人がずっと謙遜した語り口をしているので勘違いしそうになるが、勘違いしてはいけなくて、やなせたかしはそうはいいつつその色んな仕事でも相当な実績を残している。「手のひらを太陽に」作詞とか「詩とメルヘン」編集長とか。。。

自分の可能性を狭めるようなことはあまり言いたくないものの、こういうことは戦中を生き延びた体力と、才能と、努力と、運が揃ってのものだと自分は思ったので、そういう体力は確実になくて、才能と運もあるかどうか分からない自分は、せいぜい自分が昔から続けてきたこと(=音楽+映像)に一旦専念して努力しようと襟を正した。とはいいつつも、思っても見なかったもの同士が繋がることへの希望とか、専門家になりすぎてタコツボ化することへの警戒心はやっぱり捨てられない。この一見矛盾に思えることと向き合い続けたい。

他にも、正義の話とか、幼児に向けて作品を発表することとか、熱い気持ちになったトピックはいっぱいあるが、長くなりすぎるのでここまで。

これがCG制作の現場だ!Vol.2 3D編

どちらかというと適宜リファレンスにするつもりで買ったものだが、一通り読んでしまったので一応。

1997年の本で、当時の日本の3DCGクリエイターが3DCG仕事について語ったり、制作プロセスやテクニックを実際のスクリーンショットも交えながら解説してくれている本。個人的にはナンプレ雑誌の表紙の3DCG作ってる方がいたのが良かった。

これを買ったのは自分がこの頃90年代~00年代初頭の3DCGのツルツルした質感に興味があったからであるが、これってフォンシェーディングもそうなんだけど自由曲面モデリングによるところも結構大きいのかもなと思った。まだサブディビジョンサーフェスが普及していなかった頃の話だ。

この当時の技術においても、現代の視点で見ても素晴らしく思えるグラフィックもあれば、全然良くないグラフィックもあるのは興味深い。良いと感じたグラフィックには「3DCG」という枠やソフトウェアの制約に捉われない創意工夫がありがちだなというのは制作プロセスを見て感じた。

飯田HAL - テクスチャ制作技法

こちらは3DCGの中でも特にテクスチャ(物体表面の質感)の作り方に特化した本。これはかなり工夫に満ちていて、アルミホイルをスキャンして雪原にしたりとか、パンのテクスチャをダンボールとスポンジで作ったりとか。映画などの効果音制作において色んな物を効果音の音源として使う様子を見たことあるかもしれないが、そんな感じで、モノの名前に囚われず純粋にビジュアルから素材をサンプリングしていく制作方法がとられている。

草原のテクスチャが欲しくてAIだかGoogleだかに草原のテクスチャをくれと頼んで済むような現代にこそ見返すべき本かもと思った。プロフェッショナルは普通によくやることなのかな?これも年代物なので、出てくるphotoshopのバージョンとか古いのだが、それでも十分現代でも通用する。なんせスキャンだし、加工も基本的な加工なので今でもできるやり方だ。

 

読んでる途中の本

山本 達也, 糸乘 健太郎 - 強いブランドをつくる キャラクターマーケティングの新しい教科書 企業キャラクターの開発・育成・運用からコミュニケーション戦略まで

ポンタを作った人が、「企業キャラクター」というものに絞ってその育成とか運用のノウハウを体系的に解説してくれる本。半分読んだ。

ポンタがいっぱい出てきて可愛い。その誕生や運用の裏側には数々のプロセスがあって、キャラクター仕事ってこういうことなんだなとぼんやりは感じられた。

あくまで「企業の課題を改善するための一手段」としての「企業キャラクター」というスタンスをとっている本ゆえか、キャラクター制作のことを「開発」と言っていたりと用語は代理店臭がすごいが、よくよく読むとキャラクターをちゃんといちタレントとみなして、認知もされないまま人知れず引退していくタレントにならないよう育成・マネジメントしていく、キャラクターの人生を冷静に考えた本なように思えた。アイマス

当たり前の話も結構書いてるかもしれないが、当たり前のことを体系的に文字でまとめるというのは大変な仕事だ。まだ運用の話まで読めてないけど、とりあえず現実的な話はこれ読んで学びたい。

坂崎千春 - イラストのこと、キャラクターデザインのこと。

うってかわってこちらは、Suicaペンギンチーバくんの生みの親のイラストレーターが書いた本。上の言葉を借りるなら、「開発」の話がメイン(そんな言い方この本ではしてないが)。Suicaペンギンチーバくんなどの実例を交えながら、キャラクターデザインのやり方とかポイントとかを教えてくれている。色んなSuicaペンギンが見れるだけで既に良著だ。こちらもまだ半分ぐらいしか読み終えてないが、守破離は結局大事だなということで、この方のやり方をまずは真似てキャラクターを作っていこうと思う(?)

マルチメディア学がわかる

わかりません

積読状態の本たち

戒めとして、積読状態のものも記録しておく。

リチャード・ガーベイ=ウィリアムズ - プロの撮り方 構図の法則

音MAD MEGAMIXを作ったのち、映像の画面構成を学ぶ必要がある気がして参考になればと思い購入。雰囲気で分かってた話も多いが、そういうのをちゃんと理論的に学ぶというのは大事だなと思った。が、半分ぐらい読んだところで力尽きたし、大体忘れたのでこれが今に活きてるような気はしない。読みながら実技もやらないと全く身につかないな。

富野由悠季 - 映像の原則 改訂版 (キネマ旬報ムック)

上に同じく、映像のことをもっと学ぶ必要がある気がして買った。言わずと知れた監督が書いた技術書的な位置付けの本だ。かなり監督節がある。これも途中で力尽きて、書いてたことも1割ぐらいしか覚えてない。こういうことになってる自分を見ると、やっぱ自分の場合は学校って通わなきゃダメなんだなと思わされる。


Christopher 'Fresh Kid Ice" Wong won - "My Rise 2 Fame": The Tell All Autobiography of a Hip Hop Legend

マイアミベースのレジェンド・2Live CrewのFresh Kid Iceの自伝。彼の生い立ちから始まって、2Live Crewが始動したあたりで力尽きた。英語だし、しかもエロい英語なので、ちょっと読む根気が持たなかった。イキって英語を読めばいいってもんじゃないなと思った。日本語で読ませてほしい。

吉田 利宏 - 元法制局キャリアが教える 法律を読む技術・学ぶ技術 [改訂第4版]

なんでこれを読もうという気になったかも思い出せない。どうせ突発的な興味だと思う。結局ほとんど読んでないまま。自分はこういう悪いところが子供の頃からある。

 

他にも過去に記録した積読状態の本のほとんどは積読状態です。まあ本を読むと言うのはそう言うことらしい。仕方がない。

オールドスクールFUNKOTの今 —ロストメディア化するFUNKOT編—

まえがき

2009年にインドネシアのダンスミュージック・FUNKOT(ファンキーコタ)が日本で紹介されてから早16年。今も一定数のファンがいて、日本とインドネシアのファン・DJ同士の交流も盛ん、FUNKOTオンリーのイベントもクラブやオンラインでよく開催されているようです。日本から逆輸入でFUNKOTにハマったというインドネシアの方も見かけます。あとは(インドネシアの)TiktokとかでもよくBGMに出てきます。

今は他の活動で忙しくなり顔を出せていないのですが、自身も10年前までそこそこFUNKOTのDJや制作をしていました。

ところで私はFunkotの中でも「Funkot Jadul」、訳するとオールドスクールFUNKOTが特に好きです。しかしそれを取り巻く現状についての日本語記事はおろか、インドネシア語の記事もかなり少ない状況です。Funkot JadulファンとしてはもっとFunkot Jadulについて知りたいし知ってほしいので、トピックごとに数回に分けて記事を書くことにしました。

今回のトピックは「ロストメディア化するFUNKOT」です。

出不精でインドネシアも行ったことはないので、ほとんどがインターネット経由で仕入れた情報であることだけ承知ください。

FUNKOTとは?

込み入った話をしていくので、FUNKOTをそれなりに聞いたことがあることを前提に話を進めますが、トピック的に知らない方が見る可能性もありそうなので、足がかりになる情報をぶらさげておきます。

FUNKOTは2000年代初頭にインドネシアで発生し、主にインドネシア国内で消費されてきたダンスミュージックです。インドネシアの伝統的な音楽・歌謡曲の要素がふんだんに取り込まれた高速なサウンドが特徴です。

これは近年のFUNKOTのDJMIXの一例です。そもそも地域によってもサウンドに違いがあるので難しいですが、例えば日本のファンがFUNKOTと言われて思い浮かべるサウンドはこういう感じじゃないかなと思います

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詳細な説明とか、歴史とかは以下のブログやwikipediaが詳しいです。ただこれでも6年前なので、今と若干状況が異なる部分もあると思います。

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Funkot Jadulとは?

Funkot JadulのJadulとは「Jaman dulu」の略語です。古いとか、オールドスクールという意味です。

諸説ありますが、Funkotの特徴的なサウンドの起源はおよそ90年代中頃に見ることができます。当時、インドネシアにもハウスやユーロダンスなど西洋のダンスミュージックが流入してきた頃でした。この頃に活躍していたローカルのDJ・プロデューサー達が、それらをサンプリングしたりして新しい楽曲やRemixを作ったりする過程で形成されていきます。

Funkotの特徴の一つに「ドッタドッドタッ」というドラムンベースのようなビート、通称「ファンキービート」があります。しかしドラムンベース起源ではなく、西洋のブレイクビート調ハウスや、Roland JV-1080といったPCMシンセサイザーから取ってきたビートが起源とされています。BPMもこの頃は130近辺で、現代の感覚で聴いてもドラムンベースというよりはブレイクビート的です。このビートパターンはインドネシアの文化的に馴染みのあるものらしく、現地ディスコのファン達にも好評で受け入れられていったそうです。

この頃はまだFunkotという呼称もなく、あくまでHouse Musicです。大きく分けて西洋のハウスの延長線上で制作されたものと、Dangdutのハウスリミックスとして制作されたものがあり、ともにカセットやVCDでリリースされていました。

その後、2000年代に入ってからはハードハウスやトランスのサウンド流入BPMも高速化していき、2000年代中盤までは160近辺、その後は180オーバーがスタンダードになっていきます。速くなった理由も諸説あるかとは思いますが、当時ディスコで流行ってた薬物の影響が大きいとよく言われています。

 

さて、サウンドを聞かないことには何もイメージができないと思うので、DJMIXをいくつか載せておきます。

日本人の中では最古のFunkot DJ、DJ YAMAが2002年にscandalというバリのディスコで録音したDJMix。165BPMぐらい?当時流行ってたトランスなどの名曲のREMIXが中心ですね。華僑の比率も高いので中国語曲(マンダリン)のRemixも見られます。まだ四つ打ちのRemixも散見されるのがこの時期の特徴でしょうか。

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さらに遡って98年。初期Funkotの重要人物であるGassanovやKrazy Sandiのremixが入っています。このあたりはかなりHouseという感じがします。このチャンネルは当時のカセットを色々丸上げしてて助かります。

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手前味噌で恐縮ですが自分が最近手に入れた2004-2006頃のFUNKOTを使ったDJMIX。この辺りのサウンドが一番Funkot Jadulと検索して出てくる音な気がします。私が恣意的にそういうのだけ聴いてる可能性もあります。ここから先の時代はもうかなり現代のFUNKOTのフォーマットと同じになっていきます。

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一口にFunkot Jadulといっても、時期やDJによってかなりサウンドにばらつきがあります。黎明期ならではですね。この辺の詳細な解説は別の回で紹介します。

Funkot Jadulの魅力

ここは完全に個人の感想になります。まず単純にこういうサウンドが好きで、加えてテクノロジーやインターネットに夢を見れた時代の郷愁がこのサウンドから立ち上がってくるんです。この点については「クレしんのオトナ帝国的」という批判を甘んじて受け入れるしかないです。

他の魅力として、西洋から流入してきたものを、自分らなりに咀嚼して試行錯誤する様が聞いて取れるとこもいいです。日本の美術における洋画の流れみたいに。黎明期だから色んなチャレンジをしてて、全然良くないこともあるんですけど、生ハムメロンみたいな思わぬ所からやってくる美しいハーモニーを感じることもあるんです。クリエイターごとに作風が結構違ったりするのも面白いですね。

テンポがほどほどなのも良いです。今のFunkotは198BPMとか、地域によっては220BPMとかでプレイされることがあるんですが、それはそれでいいんですけど、ゆっくり踊りたい時もあって、そういう時いいなと思います。牧歌的なサウンドの曲も多いです。レジェンドDJが「198はドラッグユーザー向けのスピードだからシラフには速すぎる」みたいなことを言ってたのを誰か書いてた覚えもあります。まあ、シラフでガバを通過してきたから、私はそう思わないですが。。

ロストメディア化するFunkot Jadul

さて、ここからが今回の本題です。ロストメディアとは、文字通り「所在や存在が確認できない・公開されていないメディア」のことと一旦しましょう。Funkot Jadulは今、音源そのものや情報がかなりロストメディア状態になってきています。

幸いにもカセットでリリースされていた音源の多くは、善意の第三者による違法アップロードによって視聴できるようになっています。しかし、カセットは基本的にDJMIX音源です。曲と曲の間がDJによって繋げられている状態のものなのです。カセットなのでそんなに音質もよくないです。

消滅の危機に瀕しているのは、繋げられていない、新しくDJで使える状態の「シングル音源」です。

これは高野政所氏による現地取材などの受け売り*1ですが、ディスコのDJはスクールに通ったのちにディスコに就職と、完全に職業DJであり、シングル音源はその商売道具だから厳重に取り扱われていたそうです。

今は状況も変わって比較的オープンになり、誰でも購入し易くなってるのですが、ことFunkot Jadulについてはなかなかそうならない事情がいくつかあります。

入手するには、当時のDJか作曲者にコンタクトを取ることになりますが、消息が分からなかったりしてコンタクトの取りようがない方がまずいます。取れたとして、単にケチだったりCDが劣化してコピーできなくなってたりすることもあるようです。

作曲者自身もシングルのマスター音源をもう持ってない人が多いらしく、例えば前述のKrazy SandiはHDDが浸水で壊れて消失、Gassanovも多くのマスターDATを失ったとのこと。仮にマスターが残ってたとして、レーベル側が管理しているとか、メディアがレコードとかDATでデジタル化する設備がないというパターンもあり。また、Funkotの多くは既存楽曲の無許可Remixなので、著作権問題を恐れて公開しないパターンもありそうです。

中古市場にシングル音源のレコードなどが出てくることもあるそうですが、レアで、コレクターもいるので値段が高騰しているようです。

 

シングル音源に限ったことではなく、背景情報も消失の恐れがありそうです。複数の人が言っていたのですが、ある種エンターテインメント・ビジネスの側面が強い音楽であり、携わる人も単にお金が稼げればいいという考えの人が多く、記録として残すことにみんな関心が無かったそうです。なので、当時の従事者やファンだけが背景を把握しているという状態のようです。

曲のメタデータもあんまり充実してなくて、例えば今のFUNKOTは曲名とリミキサーが併記されているので誰のRemixか分かるのですが、私が入手した2004-2006年の音源データのほとんどはかなり適当なタイトルしかついてなくて、音の特徴からリミキサーを推測するしかない状況です。

ロストメディア化の功罪

ロストメディアについては、そのメディアそのものではなく、ある種の宝探しのような経験・努力にこそ魅力があると考える向きもあると思います。近年はネット上でロストメディアを掘り起こす動きが散見されます。私が時々見る「THEつぶろ」というYoutubeチャネルもその一つです。 

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ここで掘り起こされるメディアは、ネット上のミーム画像の元ネタとか、あの時テレビで見て違和感を感じた映像などです。やはりこれも元ネタとか映像に魅力があるわけではなく、喉のつっかえをとるその過程に魅力がありそうです。

あるいは、時代の波に飲まれて消えていく過程に、(あんまりこの言葉は使いたくないですが)エモさを感じていて、それを掘り起こしてアーカイブするなんて無粋だとする考えもあるでしょう。

Funkot Jadulも、確かにそういう楽しみ方・捉え方もあるのかもしれません。しかし私にとっては、やはりメディア=Funkot Jadul自体に相当の魅力があると感じています。単純にこのスタイルのサウンドが聴いてて心地がいいのです。なので、少なくとも消失していくことを喜びたくはないな、と思います。

 

Funkot Jadulシングルの手に入らなさから、当時のリミキサーのスタイルを真似て自分でリメイクしている、Apollo Mixという方を先日見つけました。

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彼曰く、この手に入らなさの中でシングルを探すより、自分で作るほうがマシという考えに至って作り始めたそうです。当時の西洋のダンスミュージックやサンプル音源を特定して再構築するというもはや考古学並みの作業、そして再現度の高さに感服するばかりです。このような活動に至らせたという点ではロストメディア化の功利とも言えそうですが、彼もやはりリミキサーには過去シングルを公開してほしいと嘆いています。

 

シングル音源のロストメディア化の一番の問題は、その音源でDJが出来なくなること、ひいてはそのジャンルでDJできる人がいなくなっていくことだと思います。人は必ず年取って死にますから。新規参入が困難なジャンルは、新陳代謝が起こらなくなって消えていくのみです。DJができる人がいなければシーンも生まれないです。古いスタイルは自然淘汰されていくものだという考えもあるでしょうが、私は今のFunkotよりFunkot Jadulのほうが好きな手前、淘汰されてほしくないなと思います。

Apolloさんのように新しくFunkot Jadulサウンドを作っていくことはできますが、決して楽な作業ではないし、DJするには弾数が必要ですから、資源はないよりある方が良いです。

風化を防ぐために何ができるか

Funkot Jadulの風化を防ぐベストは、リミキサー本人がシングルを公開してくれることでしょう。ただ、上述のようにそれが簡単にはいきません。

高橋幸治氏は、当事者ですら保有していない価値のある記録は、実はオーディエンス側に蓄積されている、と種々の事例をもとに指摘しています。*2

Funkot Jadulも、案外DJでもリミキサーでもない個人が保有している可能性はあるかもしれません。そして、それはよりアンダーグラウンドな所にあるのかもしれません。正直なところ私が入手したFunkot Jadulの多くも、怪しいルートからでした。

だからと言ってガンガン違法アップしようとか怪しい所に足を突っ込んでいこうとか言うわけではなく、色んな人に声をかけてみるのは手段の一つなのかなと思いました。

Apolloさんの再構築路線はとても建設的だと思っていて、Funkot Jadulのスタイルで新作も生み出していけるため発展性もあります。Apolloさんのより良い所は、Funkot Jadulの作り方のチュートリアルをプロジェクトファイルと共に公開している所だと思います。制作できる人が増えるというのは重要だと思います。オープンソースにも功罪はありますが、少なくとも保存・継承の観点では良い効果をもたらすと思います。

私がこうしてFunkot Jadulについての記事を書くのも、風化を防ぎたいからでした。探せばfacebookのコメントとかYoutubeのコメントとかに情報が書いてたり、大体の人は聞けば気さくに情報を教えてくれたりするのですが、消えたりどこかで情報がねじ曲がったりする可能性がありますから。なら、もっと情報を精査して書くべきですが...

 

というわけで、次回以降は当時活躍していたDJ・リミキサーや、楽曲の情報、サンプリング元の話などを書いていければと思います。余裕ができたらインドネシアに飛んでディグることもしていきたいですね。。。

よかったダンダダンREMIX3選

タイトルの通り、よかったダンダダンOP(Creepy Nuts - オトノケ)のREMIXを3つ紹介します。曲の内容にはあまり触れず、周辺情報だけ述べていきます。

 

「Koplo」 (Dandadan) Creepy Nuts - Otonoke 「TEGRA39 Remix」

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TEGRA39によるDangdut Koploリミックス。Dangdut Koploはインドネシアの大衆音楽のジャンルの一つ。ダンドゥットという名前もコプロという名前も、Kendangというインドネシア特有の打楽器の音から来ているという説をインドネシア語の先生に教えてもらった。

この人は種々のアニソンをKoploリミックスしていて、ただのっけただけのハズレREMIXとは一線を画す、レベルの高いリミキサーだと思う。

昨今はWibu(Weeabooが語源だと思う)と呼ばれる、アニメ・漫画など日本文化のファンがインドネシアにも多くいるようで、こないだ見たNHKによると、毎週のようにコスプレイベントやってるそうだ。

多分木琴系の楽器の音なんだと思うけど、カラカラーという音が心地よい。

VerticalBeat™ • Rofi Spenzha - Otonoke [Exclusive]

rofispenzha.bandcamp.com

プレビュー版しか聞いてないですが。インドネシアのJungle Dutchという、何年か前から多分FUNKOT以上に流行ってるインドネシア産まれのダンスミュージック。Tiktokでも耳にすることが多いと思う。我々日本人の感覚から(というか多分世界の多くのリスナーの感覚から)したらちょっととんでもない値付けのように思うが、そういう慣習ぽいのでそっとしておきましょう。良いことかどうかという議論は私はここでは立ち入らない。

販売価格に10USD上乗せすると買えるプロジェクトというのは、FL Studioのプロジェクトファイルだ。Jungle Dutchを作っている人の大多数はFL Studioで作っている。

 

Otonoke / Eurobeat Remix

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静岡の温泉旅館に行った時に、晩飯のショータイムでバードマンというマジシャンが締めに何故か使っていた。不意に良いダンダダンREMIXが来るともう笑うしかない。

昔、秋葉工房みたいなユーロビートが作りたくて「ユーロバカ一代」というサンプルCDを買った覚えがある。結局1曲作ったぐらいでやめてしまったな...。

ユーロビートと言われているものはそもそも完全に日本市場向けに作られほぼ日本市場のみで消費されてたもので、それが逆にパラパラなどを通じて海外に逆輸出されて...という複雑ないきさつがあるのだが、アニメ市場もヒップホップ市場も、行ったり来たりを繰り返してどんどん訳わからんことになっていくのだろうか。雰囲気で上手いことを示唆しようとしてるが、何も示唆できてないと思う。もう考える力・書く力、ゼロ。

2025年の振り返り

今年も振り返っていきたいと思います。

 

一月

WWWでの年越しイベントにRYOKO2000に出演。

ゼンダマンを見れてよかった。ロッコンフェスも行きたい。ゼンダマン見てる最中に詐欺系の電話がかかってきてたぽくて適当に処理してたら、操作ミスでいつのまにか家の管理会社の人の携帯に発信してしまってて、あろうことか管理会社の人も電話に出ちゃって20秒ぐらいゼンダマンのラバダブを垂れ流してしまった。

 

リハが18時で出演時刻は4時台というスケジュールだったのだが、渋谷の街中に長時間居れる自信がなく、奇跡的に安いホテルをとって行き来していた。エイジアとかO-EASTとかがある坂のあたりが絶望的に治安が悪くて、新年早々若者の流血沙汰の喧嘩を目撃。肩がぶつかったとかそういう系の原因だったらしい?

 

ダブダブもそうだし渋谷全体としてもそうだが、外国人が非常に多く、日本人なんて少数派に感じたな。インドネシア語や英語で何言ってるのか分かる瞬間があるとやはり嬉しかった。

 

ライブは、いつも通りやり切りました。出番直前、macの充電が完全にゼロで焦った。iD14(オーディオインタフェース)が、macをスリープにしててもめちゃくちゃ電力食う上に、mac電源ケーブルが抜けてたせいだった。

 

まぁ開幕からもう何がなんだか訳がわからなくなる一年でしたが、今年もなんとか乗り切れて良かった!

そういうわけで、2026年もよろしくお願いします!