興味深いことに、9月11日に梅本佑利「音MAD~デジタル・マキシマリズムと音楽~」が横浜みなとみらいホールで、9月12日からは名もなき実昌と梅沢和木によるキュレーションのグループ展「MAD IMAGE」がミヅマアートギャラリーで開催された。
ハイカルチャーと言われるようなフィールドの、それも大変名の通った場所で、日本のサブカルチャー文脈で作り上げられてきた意味での「MAD」の名を冠した催しが2日立て続けに行われたのは偶然にせよ興味深い。
残念なことに音MADのほうは都合がつかず行けなかったのだが、梅本さんの作品はYoutubeなどで耳にしていた。
さて、MAD IMAGEを観に行った。オープニング日に行ったので、作品一つ一つをしっかりとは観れなかったのだが……。
梅沢さん・実昌さんキュレーションということもあって、カオスラやネットレーベル、2009〜2010年頃のTwitter周辺の空気感と地続きな雰囲気があって、懐かしい気持ちになった。私は当時当時自分は巨大なイオンモールだけが煌々と明るい三重県の高校生だから、本当にTwitterを通してでしか知らなかった。逆に言えばTwitterを通してシーンに居たという感覚がある(バカガキだったので真面目な人には相手にされてなかった気もする)。imoutoidなんかは自分がネットレーベルを知った数ヶ月前ぐらいに逝去されたため後追いでしかないのだが、少し熱い気持ちになって聞き入ってしまった。現場を見てないのに懐かしいという妙な気持ちになった。
ところで梅本さんの「音MAD」も今回の「MAD IMAGE」もそうなのだが、二次元美少女キャラクター表象、もっとぞんざいに言うとオタクアニメからの影響や引用がかなり目立つ。これらの催しに限った現象ではなく、日本のMAD、ナードコア、2010年代以降のクラブシーン、キャラクター絵画……日本においてサンプリングや二次創作を取り扱う分野で顕著に見られるものだと思う。
先に断っておくと、私はオタクアニメにかなり興味がない。よってこれから書くことは、オタクアニメに興味がないというバイアスゆえに客観的に見れば実情を反映していない考えも含まれていると思う。なので差し引いて読んだ方がいいだろう。ただ予防線を張っておくと、はなから嫌いというわけではなく、自分も高校生の頃はけいおん!やらき☆すたを熱心に観るなど10年代オタクらしいムーブをしていたし、今もダンダダンとかは視聴する。
そういう予防線を貼った上で言いたいのは、みんなアニメの話ばっかりしすぎなんじゃないかと常々思っている、ということだ。なおこの場合のアニメには、でこぼこフレンズやおじゃる丸、はなかっぱ、しまじろうなどといった児童・幼児向け作品は含まれない。
MAD IMAGEでの名もなき実昌さんのステートメントの一文を引用しよう。
MADと呼ばれる文化がある。主にインターネット上で、既存のアニメやゲームなどの映像・音声を編集して作られた二次創作作品を指すこの言葉は、少なくとも1990年代以降、アングラな創作として営まれてきた行為だ。現在では、商業的な領域にまで侵食している。本展ではこの「MAD文化」を起点に、解体と再構成という創作の営みについて考えてみたい。
MADの説明で真っ先に「アニメやゲーム」が来ている。MADの起源は諸説あるが、一旦ここではニコニコ動画を中心に発展した時期からのMADにスコープを絞って考えよう。「アニメやゲーム」がまっさきに来るのは無理もなくて、アニメ・ゲームMADは確かに昔から十分多かったし、今も十分多い。その上、実昌さんはアニメキャラクターに関心があるとプロフィールにも書いているのだから、そう言う説明になることも理解できる。
しかし、私からしたらMADはアニメやゲームなんかよりもドナルド・マクドナルドだし、「おめーの席ねぇから!」だし、ヒカキンだ。再生数上位を鑑みても、アニメより前には来なくてもゲームより前には来るんじゃないかと思った。とはいえ、説明する上でドナルドやヒカキンをどうカテゴライズするのかは難しいし、もはや今のMADの本当のメインストリームって淫夢あたりなんじゃないかと思ってしまったが、それも倫理的に問題があるから、仕方ないとしよう。ただ、「アニメやゲーム」が真っ先に来ているこの文章には、「MAD」や「ナードコア」自体を外部から語るテキストや催しに対して私が常々感じていた違和感が現れているなと思ってしまった。
事実今回の出展作品は、自分の記憶では8割がた、萌えアニメ・キャラクターがサンプリングされていたなぁと思う。実昌さん・梅沢さんキュレーションかつ、カオスラの文脈を汲んでいるのだろうから、そうなるのは分かると言えば分かる。その上で、じゃあなんでカオスラの時から今までずっとアニメサンプリングなんだろう、と思う。
ただ全部が全部アニメサンプリングだったというわけではなくて、たとえば竹久直樹さんは今回写真作品を出展していて、それはまるでアニメ・ゲームの片鱗もない、写真を撮るということ自体に言及した作品だった。記憶がちょっと曖昧だが、竹久さんと話をしていて「実昌さんはアニメじゃないMAD成分として自分を入れてくれたのかなとも思ってる」といったようなことを言っていた。私は写真に関して本当に疎いので、なんかいいリズムだなぐらいで見てたのだが、本人から作品の意図を聞いてみたら、ステートメントにあった「解体と再構成という創作の営みについて考えてみたい」の部分を、私好みの形で提示された感じがあった。アニメ・ゲームへのカウンターみたいな取り上げ方をここで私がしてしまうのはだいぶ良くないと思うが、自分はかなり関心を持てた。逆に言えばもっとこういう機軸の人が増えて欲しいなと思った。
取り扱う記号がアニメだろうがアニメじゃなかろうが本質的にはどちらでもいい話なのかもしれないが、なんで記号がアニメなのかということはよく考えたほうがいいよなと思った。自分がそういうので育ってきて好きだから、と言われたらそれまでですが。
今となっては本当に恥ずかしい過ちなので、二度と同じ過ちを起こさないように書いておきたいことがある。
大体2010年代前半だったのだと思うけど、昔ナードコアでも同じような気持ちになったことがあった。当時、主にニコニコ大百科などで「ナードコア=アニメオタクハードコア」とでもいうような説明をされていて、特にシャープネルさんなどはずっと人気だったこともあり、かなりアニメハードコア=ナードコアという解釈が蔓延してる時期があった。このような解釈は部分的には合っているのだけど一側面でしかなくて、ナードコアとして括られていたアーティストの曲を聞いてみるとアニメハードコアではない曲はかなり多い。やや偏った見方がされていたことについて文句を言っていた人が少数ながらいて、私は偶然にも思春期という血気盛んで荒々しい時期にそういった事情を察してしまったため、アニオタハードコア許すまじ!という誤った正義感を醸成されてしまい、ニコニコに投稿されてるアニメハードコアに「ナードコア」タグがついていたら、タグを消すという本当に全てが間違っていることをやっていた。本当に申し訳ありませんでした。
脱線してるので、いや何が本線なのかも分からないのだがMADに話を戻すと、自分がMADに望む部分って、アイロニーとか冷笑とかを熱心にやるところ、あるいはアイロニーや冷笑じゃなくても熱心にふざけるところ、海賊王なところなんだと思う。自分がアニメMADにのれない理由というのは、熱意の方向が素直にサンプリング元のアニメの良さとか萌えとかを享受できそうなところに向いてるあたりなのかもなと思う。そう考えると別に冷笑系アニメMADとかもあるわけで、それならのれるかというと、アニメに興味がなくて見てないだけで、のれる可能性はあるのかもと思う。
しかし、サンプリングされる側からしたら素直に良さとか萌えとかを享受されたほうがまだ救いがあるわけで、そう考えるとただただ自分は腹切りするしかない考え方をしているなと思ってしまった。
そういうわけで、今後は腹切りしなくて済む理屈を考えるとか、一緒に腹切りする仲間を探すとか、腹切りをしまくるとか、していこうと思った。あるいは腹切りを指切りに変えるでもいい。
あとこれを機にモダニズムのナード・コアを読みたいなと思った。私は本当に上で述べてたようなバカガキだったから、最初にモダニズムのナード・コアの名を知った時はなんかよくわからないけど軽く怒っていた。冷静に考えたらマルチネアンチのネットレーベルを一人プロレスでやってたぐらいなんだから、もしかしたらカオスラ周辺にも一人プロレスではあるものの怒ってたのかもしれない。回り回って心の底から読みたいと思えるようになるとは思っていなかった。残念ながら結構前から入手困難になっていて買えません、なんとかしてください。
今思い出せることは以上だ、硬い文章書くの苦手なので話を聞いてくれる人がいたら嬉しい、聞かれても話せないか意味分からない事ばかり言うと思いますが……。