おたくのテクノ

ピアノ男(notピアノ弾き)のブログ

2023のピアノマン振り返り

振り返る時期なので、この12ヶ月を振り返る。色々大変な年でしたが、それでも振り返ることは、大切です。今回はプライベートの話は少々に、やった仕事・リリースの話メインです(覚えてないので)。

1月

私作曲の、PINKBLESS『NEVER MIND』がリリース。

big-up.style

最近はめっきりガバを作っていなかったので、ガバでお願いしたいというオーダーに答えられるか不安だったが、わりとなんとかなった。未だに無意識のうちにガバを聴いてることはある。

 

ずっと未解決状態だった、自作ROMでのPICOのペン座標取得に成功。思わぬ所に落とし穴があった。結局これ以降PICO用VJソフトを作る時間がとれず放置している。

 

DJイオさんの訃報。度々お世話になっていたし、かなりショッキング。イオさん主催のいいともレコーズのバトンは僕の所で止まっているので、早くやらないと……。

謎にオリコンニュースとかで取り上げられてたのもよくわからなかったし、これに反ワクチン主義の人々がワクチンのせいだなーと群がっていたのが大変苦しい気持ちになった。ワクチンの肯定否定どうこうじゃなくて、自分の主張に人の死を利用するのはとても頂けない。

 

2月

ピアノ男ビデオズを更新。

www.youtube.com

後に述べるコンペ応募のためだったか?ちょっと覚えてない。最近はピアノ男ビデオズの転載元の動画よりも転載を作ることのほうが多くなっている。時代とともに違法アップロードの違法アップロード的な表象(と言っていいのか?)も変わってくるわけで、これを続けると違法アップロードスタイル・アーカイブみたいなものができるのかなと思いつつ、そもそもあんまり違法視聴しなくなってきたというか、正規視聴の手段がかなり整ってきてるので、このやり方はそろそろ難しい時期に入るかも。

3月

ピアノ男ビデオズ報告書をリリース。ピアノ男ビデオズの仕組みについて調査報告書の体であけすけに記述したもの。これを出すのが果たして良かったのかはあんまりよく分からない。出さなくてよかったかもしれない。

あと水曜日のダウンタウンがこの月に、水曜日のダウンタウンをピクチャーインピクチャー形式の違法アップロード動画みたいなフォーマットで放送することをやっていた。もうこれで完全にクリシェです。

4月

岡崎ひかりのラウンジで昨年の拙作「FAKESAX」をテーマとしたイベントをありがたいことに開催して頂く。それもエイプリルフールの日に。

本当に得難い体験だった。無くなるのが心の底から残念だと思えるスペース。この後また別のイベントでひかりのラウンジに行くことがあり、ついでに観光もしたのだが、やっぱり岡崎というか、愛知は時空の流れが違うと思う。祖母が愛知に住んでいるので子供の頃は度々行くことがあったが、その時は何も違和感なく受け入れていた。しかし、物心がついてから行く愛知は一味違う。素晴らしい。岡崎のシビコで00年代初期のデジモンアヤンキーのワッペンが何の衒いもなく売ってたのがヤバかった。

5月

何も覚えてないしリリースもない

6月

アメトーーク「動画編集やってる芸人」の、終盤に出演芸人が15秒のダイジェスト動画を各々が編集して作るという企画で、フワちゃんの動画の音声をお手伝い。毎度ありがとうございます。こんなよく分からん人にずっと仕事を振ってくれてる芸能人はフワさんぐらいです。

 

横浜に引っ越し。10年住んだ京都は何もしないままアッサリと出てしまったので、また何かできることを祈る……。

7月

第1回BUG ART AWARDの一次審査に通過、セミファイナリストとなった。

bug.art

一次審査は書類審査で、自分の作品のビデオとか、ファイナリストに残った場合の展示プランとかを提出する感じ。

胡散臭いコンペもまぁ多そうな世の中、このコンペの規模感も(1_WALLが前身とはいえ)いまいち計れてなかったのだが、公開情報によると応募総数は415、うちセミファイナリストが20名なので、わりと驚いた。私はこういう書類審査にだけは何故か強い傾向がある。二次審査では、真っ当な理由で通過に至らなかったが……。

内情はまるで知らないが、審査プロセスのレポートがちゃんと公開されていたし、各選考員の審査コメントも審査後にちゃんとフィードバックくれた。最初はグランプリ受賞者には個展開催費300万のみの支給であったが、ツイッターで誰かがアーティストフィーが支給されないことについての指摘をしていたことを受けてか、支給されることになったようだ。といった所で、真摯なコンペであるように私の目には映った。

8月

KATO MASSACREに出演。

心の底から楽しくパフォーマンスできたというか、満足いった回だったと思う。忘れていたものを思い出せた。

 

映画『ミトヤマネ』の劇伴をvalkneeさんディレクションのもとで制作。プライムビデオとかでレンタル始まってるらしいので是非。

mitoyamane.jp

劇伴は初めてだったのでいい経験になった。実際に映画館で見てきたが、エンドロールに「ピアノ男」と出るとなんかやっぱおもろい。

この作品もそうだし『君たちはどう生きるか』とかもそうだが、今年は商業作品で商業作品的なあり方から反れた道を行く作品が多くリリースされていたような気がする。自分がそういうものを無意識のうちに注目してしまっているだけかもしれない。

9月

RYOKO2000でアルバム「Unknown Things」をリリース。

linkco.re

のんびりやっていたら前作から2年も経ってしまった。なかなかお互い体調や仕事のこともあって、リリースパーティはおろか通常の出演すらできてない状態だが、なんとか機会を見つけてやりたい。

10月

あんま貼るほどのものでもないが個人的に今年はこういうノリがきていた。のでDJMIXを作った。

soundcloud.com

アジアと一括りにするのも雑すぎるかと思いつつ、事実90〜00年代のユーロダンス・トランスはアジア圏の(というかアジアに限らないと思うが)多くの国のダンスミュージックに影響をもたらしていて、独自の解釈というか、消化のされ方をしている。

自分はFUNKOTなどのアジア圏のダンスミュージックが好きなのだが、好きな理由の大部分は、欧米の様式を取り入れるんだけどそっくりそのまま欧米の様式にはならない所が好きなんだと思う。それは猿真似によって産まれる薄っぺらさの時もあれば、ウェスタンポイズンには毒されないという矜持、混ぜもので新しいモノを作ろうという意志の時もある。どちらも尊い。これは各国のマイアヒカバーなどにも顕著に表れている。マイアヒに注目するのはそういう所です。マイアヒは世界の民俗資料なんです。

11月

音楽ナタリーさんから話を頂き、割れ音源に関する記事をリリース。

natalie.mu

ナードコアや音MADに始まり、ずっとぼんやり「サンプリング」「割れ」について意識があったのだが、いよいよライフワークっぽい感じになってきた。

書いてるうちに自分の中で整理がついてきたというか、点と点が繋がり始めた感じがあったので良かった。けど当分はあんまりこのテーマ書きたくないな……。結局話をもらったら書いちゃうんでしょうけど……。

12月

この月がなんだかんだ一番忙しかったかもしれない。

 

山中雪乃個展のオープニングパーティにPP-MAXMAN名義でDJ出演。

これを期にやっとDJができる感じになってきた。PP-MAXMANはアジア圏を中心に各国のダンスミュージックを再編纂・再解釈するスタイルのDJ名義です。今後はDJもやっていきたい。

 

AMCJに出演、音楽ナタリーで書いたようなトピックを中心に講演。人前でプレゼンテーションするのがものすごく久々というか、何なら他人と喋る機会も近年はすごく少なくなってきてるので、あんまり上手く話せなかった……。内容自体はナタリー時点より新しい視点も含んでいるつもりなので、また何かのタイミングで発表できればと。

 

熱海にて、しぜすべ3に出演。

本来RYOKO2000での出演だったが、都合で叶わず私単騎での出演。レジャー感覚です。日の出というものを久々に見た。

 

ミゲルさんのGOODNIGHT周年パーティに出演。

これが今年の最初で最後の、2人揃ってのRYOKO2000出演となってしまった。来年こそ頑張りたい。イベント自体は、今まで体験したことない新鮮で不思議な空間だった。

 

まとめ

美術、執筆、講演……ちょっと風呂敷広げすぎてしまった感はあった。音楽活動もそれなりにやっていた気はするけど、振り返ってみると去年と変わらず控えめに映る。

色々手を出したが結局それらは今ずっとあんまりやる気がなくなってしまっている。でも音楽だけは、一瞬やりたくねーってタイミングがあれど1ヶ月もすればDAWを触りたくなっているので、結局音楽は作りたいんだということが分かって良かった。

一方で、情報過多・加速する消費速度、生成AIの発展、広告に依存する収益モデルやサブスクの問題点、Twitterの崩壊、戦争など世界情勢悪化……これまでの音楽制作への態度を改めなければいけないと思わされる、時代の転換期にいると強く感じさせられる一年。

もはや何もわからん。何もよくわからんまま全てが過ぎ去っていった一年でもあった。来年はよく分かることを祈る。

来年の抱負

曲を色々出す、年収を上げる、親知らずを処理する、雰囲気に流されず突き進む