おたくのテクノ

ピアノ男(notピアノ弾き)のブログ

~2024/04読書録、「陳腐なEDM」について等

読み始めた本

トーマス・S・マラニー+クリストファー・レア(安原和見訳) - リサーチのはじめかた

学生の時に読みたかった感ある。自分が何したいのか何を作りたいのか最近分からなくなることが多くて、そしたらどっかでこれ芸術を志す若者にも読んでほしいみたいなツイートを見て、買ってみた。誰かにやらされる研究ではなく、「自分中心的研究」のアプローチを教えてくれるようなので楽しみだ。

長沼伸一郎 - 現代経済学の直観的方法

ちょうど今Kindleで買った。著者の前作「物理数学の直観的方法」は読んでて、長いあとがきに感銘は受けていた。で、最近マネーのことに悩むことが多い上に、経済のことを何も知らなすぎるなと思って買ってみた。

序文で、人文科学・自然科学についてかなり勉強してるのに経済に関しては苦手(何なら無知であることが純粋さだと信じてる)な「教養の高い非経済人」が数多く存在してて、とはいえそんなこと言ってられなくなって経済を勉強しようとすると「株で儲ける方法」みたいな、そうじゃないんだがという本ばかり、とはいえアカデミックな入門本を読もうとするとそれはそれで苦しいという人のために書いた、と言っていた。

これは完全に俺のことすぎてブチ上がってしまった(教養があると言っているわけではない)。読みます。

読んでる途中の本

友利昴 - エセ著作権事件簿

いい加減な著作権の解釈を理由に冤罪をふっかけてくる(トレパク冤罪など)のは実はSNS上だけじゃなく民事事件としても結構ある話のようなのだが、そういうケースをたくさん載せてくれている。

面白いは面白いのだが、鬼畜系とかブブカみたいなちょっとキツめの言い回しをしてくるので、そこがちょっと辛い。(そんな機会があるかはともかく)真面目な講演とかでこの本をそのままソースに引っ張ってくるのは少し厳しい

中川克志 - サウンド・アートとは何か: 音と耳に関わる現代アートの四つの系譜

サウンド・アートは時折耳にするが、そう称されているものを分析してみると、筆者曰く実はタイトルにある通り4種類の系譜があって、それらを整理・解説するみたいな本。気合が入っている。

これは本題とは関係ない話になる。私は枝葉末節を全部言いたくなってしまってオタク喋りをしてしまう傾向があるのだが、筆者もそういうタイプなのか、はたまた美学の人たちの傾向なのか、注釈がかなり多い。注釈がものすごく多いと、本にオタク喋りを感じてしまう。(だから悪いということではない。)

で、現代アートの視覚美術偏重主義ともいえる側面、とりわけ音響芸術に対して無理解な側面に怒ってる注釈があって、ブチあがった。

「...現代アートの最先端で好まれる音楽が非常に陳腐なEDMだったりする現場に何度も居合わせてきたが、なぜ、面白い音響芸術の存在を無視して、視覚美術を主たる対象として現代アート全般を語ることができるのか、という疑問を私は抱き続けてきた。...」 (pp.19 注釈13一部抜粋)

筆者の言いたい話とは多分かなり逸れるが、この点はなかなか私としては難しいものがある。確かに自分もそういうシーンを何度かみた事がある。最近だと筆者の言う「陳腐なEDM」に該当する所は「ヒップホップ」とかだろうか。これが本当に無視してて(気づいてなくて)「陳腐なEDM」を好んでるのだったら、まぁやるせない気持ちになるというかそれを通り越して笑うしかないのだが、実は面白い音響芸術が面白くなくて、自覚的にというか、アイロニカルに「陳腐なEDM」を選んでるのであれば、これは結構身につまされる話かもしれない。

これと裏返しの話で、「陳腐なEDM」ではなく「面白い音響芸術」が仮に全体の傾向としてよく選ばれていたとして、でもこれが続いてたら「陳腐なEDM」がきた時にめっちゃブチあがってしまうというのもある。マニアックを極めた先の揺り戻しか。私含め一部界隈では「陳腐なEDM」に相当するもの(めちゃくちゃメジャーなJ-POPとか、商業主義すぎる曲とか)を半ば自覚的に選んで、それでブチあがってる時があると思う。で、それは自覚性が薄ければ薄いほどブチあがる。山本精一が言ってた「天然スカム/養殖スカム」にも似た話だ。

で、より困るのは、そういうアイロニカルに選択しがちなもの(その代表例はワンピースか?)というのは、実はアイロニカルに選択しなくても全然陳腐じゃない、めちゃくちゃ良いものだったりするのである。ただ、養殖スカムが天然スカムにはなれないのと同じで、アイロニカルに選択できてしまう人が天然の良さに気づいて素直な気持ちで提示しようとしても、どこか天然になりにくいのである。

 

自分は子どもの頃、ワンピースを素直な気持ちで面白いと思って見ていた(エネル編あたりで他に興味ができて脱落したが)。大人になってからは、やはりワンピースをアイロニカルな感覚で面白がっている。後に、尾田栄一郎のすごさやワンピース自体の偉大さに気づいて素直な気持ちで見ようとしているものの、やはりアイロニカルな目線は抜けないままなのである。

読み終えた本

千葉雅也 - センスの哲学

読んでる途中は、普段曲を作ったり何かしらの作品作ったりしてる自分にとって身近な話題ということもあり、そうなんだよな確かにそうだ、と納得しながら読めてたのだが、読み終えた途端何を言ってたのかかなり忘れてしまった。

以下ネタバレかも:

芸術の創作論でありながら鑑賞論でもあるみたいな感じだったと思う。

自分の解釈では、音楽にしろ絵画にしろ作品にはコンセプトともいえる"大義"の部分と枝葉末節の部分があるという前提があって、大義は一旦おいといてまずは枝葉末節に着目するとこから始める。で、枝葉末節の何に着目するかというとパターン・リズムがどうなっているか(パターンの良さがセンスの良さと繋がってる)。リズムも単層構造ではなくて、たくさんのリズムが複層的にあって、それが生み出すうねりみたいなのがある。そしてそのリズムにいい感じのグルーヴがあるのがセンスだ、と。

で、そう言う視点はいわゆるフォーマリズムというやつで、まずはその視点で始めるといろんな所でリズムが認められるわけだが、全体としてガチガチにグルーヴの良さ(センスの良さ)を極めるんではなく、外しもあると結果的にセンスが際立つよなー、という話だったと思う。

そんなことは最近体感でなんとなく分かってきてたことなのだが、いざ文章にされるとより理解が深まるのであった。