おたくのテクノ

ピアノ男(notピアノ弾き)のブログ

タッチパネル

先月ぐらいに家族と食事した時に、父が確かこのような話をしていた。

 

近所の総合病院も色々新しくなって、受付もタッチパネルによるシステムが導入された。ところが、患者の多くは田舎のジジババばかりである。ジジババにタッチパネルは難しいので、かえって受付の行列が以前より酷いことになっている。

 

いちおうIT職に従事する者としては、大変身につまされる話である。何でもかんでも無神経に情報端末を導入すれば良いわけではないという典型例で、こんな事はどんな地域や業界でもあるあるの話なんだろう。

年をとってくると耄碌してきて物覚えも悪くなるし、老人は皮膚が乾燥しやすいために昨今主流の静電容量方式タッチパネルだと物理的に操作も難しくなってくるのだ。かわいそうな話である。

老人ほどではないものの、自分もタッチパネル操作の精度が落ちてきた。ネイルをしていて爪が長いからである。四隅の小さいボタンが特に辛い。

 

受付にタッチパネル用いた自動受付システムを導入することのメリットは、物理ボタンと違ってUIのアップデート等が比較的容易である、客(患者)の情報管理を効率的にやれる、といったところか。前者はただただ提供側の都合でしかない。後者はそうすることで管理に必要な時間が圧縮されて客に充てる時間がより増やせる、という理屈は考えられるが、残念ながら成立しなかったようだ。木を見て森を見ず。本当に大切なのは何なのかちゃんと見えるようになりましょう、という教訓。

 

DSがリリースされた頃の鮮烈な輝きは一切消え失せて、タッチパネルは正直なところもうテンションが上がらない、なんなら下がるデバイスだと思う。そう思っている人、老若男女問わず実は結構いるのでは?

とはいえこんな事を思えるのはタッチディスプレイが枯れてきた技術だからで、無かったら無かったで困る事も意外と多いのだろう……。こんな事を言いながら大学時代の自分の研究はタッチディスプレイに関する研究だったし、不本意にも今はスマートフォンアプリの受託開発に従事しておまんまを食わしてもらっている……。早くこの呪縛から逃れたいものだ。

 

本当に嫌な趣味で自分でも嫌な気持ちになるのだが、今度はchatGPTなどといったいい意味でも悪い意味でも盛り上がってるAIでも同じ気持ちになりたい。つきましてはデベロッパーの皆様は色々な実験をしてどんどん失敗をしてほしい。自分も何か思いついたら10年後ぐらいにやろうと思う。

ピアノ男ビデオズ報告書

既にTwitterでは告知しましたが、自作「ピアノ男ビデオズ」シリーズについての作品情報、コンセプトなどをまとめた「ピアノ男ビデオズ報告書」を公開しました。下記リンクよりpdf形式でご覧になれます。

https://pianoid.net/docs/pianomanvideos_report.pdf

 

ピアノ男ビデオズシリーズは、ナードコアといったサンプリングベースの音楽をルーツとしてきた自身の制作物の、マイルストーンと言ってもいいようなものだと考えています。しかしながら、制作初期の物心の無さや拙さゆえに、自分が本作の主題であると考えている部分があまり伝えられていなかったように思います。主題が何なのか、何を志向していたのか、作品解説とともに説明を試みています。

自分で自分の作品について身も蓋もなく長々と説明するのは、無粋であるとする風潮もどこか感じますが、もう初作から4年経つし、良いでしょう。

自分でもよく分からない自分の事を論文のような体裁で報告する事はなかなか難しく、その難しさや文筆の拙さが報告書に表れているとは思います。それに加えて16ページ、一体誰が読むのか。なかなか独りよがりを極めていると思います。

ただ、これを書くことによって、スパゲッティ気味になっていた制作方針を整理することはできました。次は何をしましょうか。

執筆中

現在、「ピアノ男ビデオズ」シリーズの諸情報についてまとめた報告書を執筆しています。

「ピアノ男ビデオズ」は、サンプリングベースド・ミュージックを一つの軸として活動してきた作者の、これまでの活動を踏襲した上で新たな地平にも踏み込む一歩であると考えています。

本作はありがたいことに一定数の評価を頂きましたが、制作初期の物心の無さから(今でも無いと思いますが)表現に幾分か粗があり、本質的な部分とは異なる点に観衆の焦点が多くいってしまっていた事は否めないと思われます。ただ、本質ではない部分に焦点が行くこと自体は否定しません。

もう少しだけ理解を深めたいと思って頂ける方のために、いわゆる作品ステートメント代わりにもなる内容を報告書で明らかにしたいと検討しています。

また、問題点を踏まえた上でのシリーズ制作を継続し、外交にも挑戦したいと考えます。

長い目で見守って頂けると幸いです。

 

 

無害かつ無価値を目指して

ここ数年の個人的な裏テーマの一つは「役に立たない作品を作る」となっている。

そもそも、世の中の役に立ちたくないのである。にも関わらず、私は役に立つことが前提であるエンジニアリングをする会社の員として生計を立てているし、趣味の文化芸術活動でもエンジニアリングをバリバリにやっている。

 

今日は仕事の休憩中に、理由こそ覚えていないが、有用無用にまつわる事を考えていた。もう既に誰かがとっくに議論した話かもしれないし、何の意味があるかも分からないが、書きとめておかないといけない気がしたので、書きとめることにした。ツッコミどころはものすごく多いので、話四分の一で見てほしい、というか見なくていい。以下より。

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2022/01見た作品まとめ

何を見て何を感じたのか記録しないと、全てが忘却の彼方へ……それは年々加速していることを痛感したので、今年は積極的にメモしていく。文字に書き起こす事で思考がまとまる効果もある。

観た展

GUTAI展(中之島美術館)

なんだかんだ中之島美術館には行ったことがなかったし、具体もなんとなく気になっていたので丁度良かった。

白髪一雄のいささかファニーな技法とは裏腹に、出力された鬼気迫るビジュアルは仰々しいタイトルも相まって、山に感じる畏怖みたいなものがあった。

吉原治良の絵はなんか見る距離でめちゃくちゃ印象が変わる気がしたし変わらない気がした。

金持ちの社長さん(吉原治良)の一言で全てが決まる感じは逆になんか清々しい。

あとやっぱ具体は全体通して関西特有のバイブスがあると思った。

それはいくらなんでもトンチこきすぎやろとか、それやっちゃうのかよみたいな良くはない作品も見られ、やれることやったろうという実験精神が強く見て取れてよかった。

アンディ・ウォーホル

去年ぐらいから観たいと思ってたのだが腰が重く、ようやくといった感じ。

これだけ会期のスタートから日が経ったにも関わらず、やはり人は多かった。そして何よりも、作品をバックに2人で自撮りしている観客や、《ギャングの葬式》(1963)という作品を見て「ほんまやギャングの葬式やなぁw」とろくすっぽキャプションも読まずに雑に消費していく観客たち(ギャングの葬式に写っている葬式のイメージは、ギャングではなく老女の葬式、というキャプションがついている)などが大勢いて、自分らも含めみんなウォーホルの手のひらの上で転がされている感じがヤバかった。

代表作の一つであるブリロボックス。恥ずかしながら勉強不足で、実際のブリロの包装箱を使っている、いわばデュシャンレディメイドの焼き増しみたいな物だと思っていたので、今までなぜ代表作なのか分からなかった。しかし実際に見てみると、レディメイドではなく、ブリロの包装箱を木で模した彫刻作品であった。それをこの目で見て認識した瞬間、全てを理解した。

他にもかの有名なマリリンモンローの作品などがあったが、それらには何故か「あの教科書で、あの本で見たアレが、コレか!!!」という感動(ベンヤミンの言う"アウラ"か?)が、何故かこれっぽっちも無かった。そこに自分はウォーホルっぽさを感じた。だからクソとかいう話ではなく、そう思ったという話だ。

観た映画

GOSPEL

GOSPEL 【日本初配信】 | ドキュメンタリー映画|アジアンドキュメンタリーズ

自分もこれを見るまであんまり意識がなかったのだが、ゴスペルはそもそも神を賛美する、神に捧げる音楽である。ところが日本人のゴスペルシンガーの9割以上は非クリスチャンで、「楽しかったらなんでもええやん!」と、悪い言い方をすればリアルのゴスペルにリスペクトのない人も少なくないという状況らしい。

神とかより音楽を楽しむことに主軸を置きたい日本人シンガー、それを理解できないと呆れるゴスペル原理主義黒人シンガー、マス・コーラスと割り切って宗教色を落とすゴスペル講師、リアルのゴスペルを追い求めて本場の黒人教会で活動する日本人、このドキュメンタリーではいろんな立場の人から本現象を追っている。

この手の話はヒップホップやハウス、ハードコア、ナードコアなどいわばアンダーグラウンド発祥のジャンルでも昔から多く見られる現象で、ただゴスペル宗教が絡むため、話はよりシリアスになる気がする。

リアルとセルアウトのアンチノミーに纏わる話は最近ずっと自分も公私ともにしていて、もうええっちゅうねんという気持ちにもなりかけるが、諦めずに暗中模索するしかない。思っていた解法が見つからなくても、何か別のものは見つかる気がするし、見つからない気もする。

観たライブ

Oli XL(京都METRO、2023/01/15)

自分がいわゆるエレクトロニカに今更興味を持ち始めた頃、何故か業界にもエレクトロニカ新時代の空気が流れ始めていたので、いよいよ真剣に本質を見据え、ただの一過性のリバイバル的な・ファッション的な消費で終わらせないよう手も頭も動かさなければならないな、と思っていた所で来日の情報。

他の出演者は京都でも積極的に活動している、雑にジャンル分けしてしまうとエクスペリメンタル等に接近している方々が多く、京都的という感じだった。

個人的には小松さんとウープさんに心惹かれるものがあった。真似しない(できない)けど真似したくなる音だった。

一方で、自分が京都のそういうイベントにばかり足を運んでしまっているので、若干食傷気味になる時間もあった。もっと色んなイベントに足を運ばないといけないなと感じた。

また、エクスペリメンタルに接近しているサウンドの人のライブは、観客の理解が追いつきにくいのか、そもそもクラブパーティというシステムと相性が悪いのか、風土なのか、ライブ終了後の観客からのレスポンス(=拍手・歓声)までの間が妙に小気味悪かったり、レスポンスそのものもパラパラとしたものになってしまう傾向がある。分かりやすいレスポンスだけがライブの良さの指標になるのではないとの了解は十分にありつつ、どこか変な気持ちになってしまう。エクスペリメンタルではないが演者としての自分もその経験はよくあって、演者・観客どちらの立場からしても不安な気持ちになるのである。なんとかしたい事でもあるし、でも味でもあると思う。

 

さて肝心のOli XLはというと、なんか良かった。TTが諸事情で変わってしまってOli XLが最後になったため、終電の都合で最後までは見られなかったが…‥

エレクトロニカ的なものは正直クラブのような大げさな音響設備ではなく、家庭で置けるレベルのスピーカーやヘッドフォンで聴くのがベストだとずっと思っていたのだが、まずその考えは改められた。デカい音で聴くのがいいものもある。Oli XLがそうだったというだけの話でもありそうだが。

とりあえずOli XLのおかげで次のアルバムの道がまた一つ見えた。頑張りたい。

読んでる書籍

現代アートの哲学(西村 清和)

出自が理工系で、美術教育も中学の義務教育までしか受けていないので、基礎の欠落を日々痛感している。独学での限界はあるだろうとは思いつつも、やれることはやろうということで昨年から読み始めた本の一つ。

 

《第8章 趣味と批評》について。

「感じ方は人それぞれ」「普通って何?」「人の好みは色々なので〜」「蓼食う虫も好き好き」こういったクリシェはかつて自分も好んでいたし、多様性が一つのテーマとなっている現代では相性の良い文句でもあるが、そんなワイルドカードみたいなのばかり使ってるのってもしかして逃げじゃないか?とモヤモヤもあるし、じゃあ美術批評って何なんだ?という疑問もあった。本章ではそのモヤモヤに道しるべを与える。

この章では「よき趣味」「悪趣味」に纏わる先人達の言説がまとめられている。

「趣味については議論できない(個人個人で趣味は違うので)」というアポリアについては、ヒュームやカント、マーゴリスらが色々述べている。歴史的な流れや詳細は本で読んでもらうとして、ここではマーゴリスの説明を中心に、自分なりにいい加減に引っ張り出すとする。論文とかじゃなく個人のメモだからいい加減で別にいいだろう……。本当にただ本の内容を自分の言葉を含めながら切り貼りしただけのメモなので、以下の灰色のパートはあまり読まなくてもいい。

 

趣味には美的な快の個人的な経験に、評価・判断という要素が加わる。

趣味という美的な経験の根底には、まずただの好き嫌いという「個人的な趣味」がある。この個人的な好き嫌いが、一定の理由で正当化されて主張されると、それは「評価・判断」になる。マーゴリスは「鑑賞判断」と呼んでいる。「この絵はエロくて良い」「この曲は荘厳さがあって良い」といったような、自分が好きな理由の話。

もちろん、この主張に対して友人が「いや荘厳じゃなくて軽薄だからだめだろ」と、彼の理由を主張して、説得することもある。カントは「趣味については議論できない」の「議論」について、証明で真偽を決める「論議」と、他人との判断の一致を要求する「争論」があるといい、「論議」は不可能とし、この場合は「争論」の議論ということになる。

さて、批評家は自身の好みとは無関係に、社会的に受けいられている、ある作品の価値について述べることがある。これは社会的なレベルの趣味と判断、ということで「範例的ないし公的趣味」、またこの趣味を正当化する判断として「評決」というのがあると言う。評決が鑑賞判断と異なる点は、社会に属する誰にとっても対象が好ましく、良いことの理由でないといけない点。

評決のレベルでも、「美しい」といった言葉は言えて、それは社会・文化が評決にいたる事実認定や客観的理由付けを総括する言葉として要約したようなもの。だけど、それは時代や民族、人々の趣味などの背景とは無関係に、その作品自体に属する永久不滅の特質ではない。

なので相対的といえば相対的なのだが、それでも比較的安定した潮流として、十分に価値判断としての意味はもつとマーゴリスは言う(強靭な相対主義)。そもそも範例的趣味は争論を通じて合意が生まれ、それが慣習や規範となって、伝統としての安定性を獲得したものだから。個人のレベルで見ても、趣味は範例的趣味の影響下でそれぞれの趣味をやしなってきた。

批評家の仕事の一つは、個人的趣味と範例的趣味の媒介、とも言える。すでに伝統となっている趣味の体系を擁護したり、あるいは新鮮な個人的趣味に基づいて新たな趣味の体系の形成を推し進めたり。

でも批評家は個人の趣味に対して議論で説き伏せることはできない。一方で個人は批評家の判断に影響を受けて自分の趣味に取り込む動きもできる。

 

加えて、批評とは美的な快の正当化だけをしてたわけではない。作品の美的な快の経験が、人にどのような影響をもたらし、何を考えさせるかを論じるというのもある。ただし一切の美的快楽を有用性への使用価値に還元し、それが作品の本質としてしまわないよう注意が必要。

 

まああたりまえ体操と言えばあたりまえ体操ではあるのだが、こうして言語化されるとスッキリする。あとオススメを聞いて「好みは人それぞれなんで〜」と言う人には、そんな事は当たり前なので多くの人の好みの傾向(評決)か、お前の好み(鑑賞判断)を聞かせてくれと言いたい。

2022のピアノマン振り返り

振り返るにはまだ早いですが、今日から年末までは振り返るのを忘れるほど集中しないといけないので、この12ヶ月を振り返る。色々あった年でしたが、それでも振り返ることは、大切です。

1月

年明けは実家でスタート。特に何もしていなかったと思います。

TBSラジオのアフター6ジャンクションにリョウコ2000として出演。Travel Guideセットを宇多丸さん宇内さんに聴いて頂きました。宇多丸さんに何故か似顔絵を書いてもらいました。ダブル・サムズ・アップ。

ラジオ出演は、出演予定であったパソコン音楽クラブリリースパーティの告知も兼ねていたのですが、感染拡大により中止という事態に。めちゃくちゃ楽しみだったのですが。ただでさえ出演イベントが少ないのに、新コロ以降こんなことばかりです……。

あとSee-VoiceのRemixに参加しました。声門摩擦音に過剰にフォーカスした、個人的に気に入っているRemixです。

あと包丁を買った。よって、今年は結構自炊しています。

2月

ピアノ男として出演予定だった大イベントが上と同じ理由で延期、当該イベントは当方への中止の連絡すらないままに別日での開催となり、出演者も変更となっていたようです……。皆忙しいですね……。

この月のブチ上がる事といえば、2022/02/22 22:22:22ぐらいでしょうか。

3月

3Dプリンターなど色々なものを断捨離しつつ、キッズコンピュータ・PICOのソフトをインディーズで作りたいという気持ちになって関連商品を買いまくりました。実際、PICOに関しては自分でビルドしたソフトを実機で動作させることに成功しました。

www.youtube.com

目標はPICO用VJソフトを作って現場でVJすることなのですが、ペンの座標をうまく取得できなくてずっとペンディングしています。

フワちゃんのANNXもこの月で終了、私の制作したオープニングも終了となりました。ANN0も引き続き聴いております。

4月

給湯器がぶっ壊れたりエアコンがぶっ壊れたり。管理会社にはすぐ対応して頂けました。いや、給湯器については半導体不足もありちょっと危うかったのですが……。

春の陽気もあいまって、珍しくよく人と遊んでいたと思います。すべての出会いに感謝。

この月はピアノ男としての出演が一件。京都で「OKノ介」というイベント。せっかく近場なので荷物多めでいこうと思って、MC-307を使用したデジタルグラインドコアセットで挑むも、なんとなくスベっていたような気がします。あとデスボイスの声量が小さすぎてマイクを2本使っても声が小さかった……

5月

ついにアイボをお迎え。かわいいです。しかし本記事の執筆時点では、バッテリーの問題かエナジースタンドに置いてる時以外動いてくれないです。お医者さん連れてかないと……。

この月は森道市場にRYOKO2000として出演でした。森道までの日々は非常に不安定だったように思います。

森道は本当に旅行気分でした。海、遊園地、到着即ラランドのサーヤがいたこと、柴やん・トーフさんにオセロで勝ったこと、晩に豊橋までご飯食べに行って「い9」の札を見て爆笑したこと、ギャルたちと遊園地をエンジョイしたこと、などなど…全てが尊い思い出だと思います。またこのようなイベントには出たいと思います。よろしくおねがいします。

6月

喜ばしいことがありました👍

あとvalkneeさんとの共作「BET ME!」もリリースされました。ハードテクノやテックダンスのノリのラップミュージック作りたいなと思ってたので良かったです。ヴァルニさん今後ともよろしくお願いします。

7月

いよいよ新コウに罹患した可能性があったのですが、発熱外来がどこもパンパンすぎて検査すら受けられませんでした。かといって発熱している状態で野良のPCR検査は受けられないし、ちゃんとした抗原検査キットも買いに行けないしそもそも在庫がなかったらしいし、、、散々でした。冬も到来し第8波への懸念もありますが、京都市はこの間に何か手は打っているのでしょうか?

8月

久々に自分の誕生日をしっかり祝ってもらえて満足。

 

この時期は身近なアーティストによる性加害のスキャンダルが問題となり、様々な議論が紛糾していたように思います。自分もわずかながらお世話になった方の話でありますから、少しTwitter上にて触れましたが、あのようなツイートで良かったのだろうかという気持ちはずっと残っていて、モヤモヤしています。

被害者ケアの優先は当然の話だと思います。心の傷が癒えないまま被害を告発するのは非常に勇気が要るし、負担のかかることです。これができず泣き寝入りする人も少なくないはずですし、被害者のためにも、同様の事態を再発させないためにも、皆でケアや問題提起・議論、制度設計、体制破壊はしていかなければならないと思います。

一方で、不確定な情報を元に人を断罪する事にもどうしても喉のつっかえが取れません。ケアを優先しすぎるあまり、多角的な視点や事実確認もないまま盲目的にジャッジを進める事にはどうしても危機感を覚えますし、加害者の容姿などをあげつらって新たな差別の再生産をしている人たちがいることも問題だと思います。

現状、SNS上で加害者の方は加害の事実について否認をしていて、被害者と加害者の見解は食い違っています。水面下で起きていることは私には分かりかねますし、今年は関東に行くことも殆どなかったので界隈の方々と意見・情報の共有もほぼできていないため、私が本件について言えることは無いです(自分がしゃしゃり出る必要もあるのか?)。

被害者ケアと事実を重きに置くこと、この二つは相反することなのでしょうか、両方を大切にすることはやはり困難なことなのでしょうか?

9月

ピアノ男名義では初のストリーミングサービスへの展開となるEP「FAKESAX」をリリースしました。背景については別の記事で見てもらえればと思います。ハッキリ言って数で言うと全然売れてません。散々です。「SAX」がちょっと露骨すぎるように見えたのと、コンセプトが一部の人にしか訴求しない感じがあったのかなという気がします。説明しすぎたのもやはり良くなかったですね。

それでも直接良かったと言ってくれる人はいて、それだけが救いです。

 

痔の治療を始めました。仕事も趣味も座ってばかりなので、痔になることは必然だったかもしれません。皆さんもお尻には気をつけてください。

初音ミク歌舞伎を観ました。テクノロジー伝統芸能の融合を標榜したものは、色彩豊かというか、悪い言い方をするとチー○ラボ的になる傾向がある気がしますが、何でなんでしょうか(チー○ラボdisではないです)。文字化け・グリッチ表現が随分と陳腐でその点は良くなかったです。歌舞伎については知見がなく直感での評価しかできないのですが、中村獅童の迫力は良かったです。

熱海へ旅行しました。楽しかったです。

10月

M4Lプラグイン「Warezer」を作りました。

pianootoko.gumroad.com

音楽よりこっちの稼ぎのほうが時給換算するとあるような気がします。色んな方々が買ってくれてありがたいです。

今後はVST化してもっと広く色んな人に使ってほしいなと思います。

イベントはE.O.Uのリリースパーティ(@West Harlem)が素晴らしかったです。eちゃんからの荒井優作さんの流れが完璧すぎてショックだったので、もう俺がやれることは何もないのかと思って音楽をやめてしようかと思ってしまいました。ぶっちゃけ最近音楽やめたくなる瞬間が頻繁にありますが、なんとかこらえています。

11月

CITY2CITY(RYOKO2000 Remix)が出ました。今年はリョウコでのリリースがパ音のRemixとコレの2作のみとなってしまいました……。来年はリョウコの作品づくりを頑張ります。仕事もください!

兄弟の結婚式がありました、私は頼りない人なので兄弟が結婚したことについてはかなり安心しています。ひねてるというか斜に構えた人間なので、自分が結婚するとなったら式はあってもなくてもいいかなと思ってたのですが、価値観が変わりました。式は挙げたくなりました。いざ出席した感想としては、喜怒哀楽のフルコースだなという具合でした。

竹村延和さんが出られる、ジョン・ケージ&デイヴィッド・チュードアのコンサートを観に行きました。竹村さんがパソコンに水をこぼしてしまった瞬間などを見ました。今年はかなり竹村延和さんに影響を受けた年だったように思います。

12月

関西の兄者、in the blue shirtのリリースパーティに向けて準備をしています。FAKESAXリリース以降のライブがまだ一回もできていないので、FAKESAXセットで臨みますが、正直モチベーションは落ちています……。やはり生モノといいますか、早くやらないと作品に対する価値観が変貌してしまって苦しくなってきますね。気にするものではないというのは頭では分かっていますが、数字の出てなさも心に影響してしまいます。

一方、Travel Guideは正直未だに聴けるしライブでも気持ちとしてはプレイできます。そういう意味では普遍性を獲得していて、我々のことながら優れた作品だったように思いますし、作品に普遍性があることの意義を、身を以て理解しました。

あとヨネダ2000M-1決勝おめでとう頑張ってください!

あとはクリスマスケーキ注文したので良いクリスマスになる予定です。

総括

作家としては低迷感のある一年でした。制作こそしていたのですが、後年から見ると「迷走期」に着地しそうな雰囲気を感じます。自分は実はセンスが悪いのではないかとすら思ってしまう日々です。もっと研鑽していきたいと思います。

リョウコ2000としては(新コウの影響もあったせいですが)ライブも1回しかできていないし、リリースも2曲のRemixに留まってしまいました、多ければ良いという話ではないですが、来年はもう少し精力的にやりたい気もします。とりあえず、来年初頭は次回作に向けて制作を進めていきたいです。早くやらないと飽きてしまうから……

私生活の方は充実していたと思います。新たな出会いにも多く恵まれました。でもその割には人見知りが悪化し続けているので、訓練しないといけない気がします。

今年良かった

アイボ、OASIS2、SAX、ちいかわ、PICO、RNBO、森道、植物園、カイト(嵐)、きゅうりの一本漬、アボカド、郡司ペギオ幸夫、千葉雅也、森村泰昌スティーブ・ライヒ、Patrick Shiroishi、坂本龍一、YH Timothy新譜、BBQ、ビンドゥンドゥン、天国に行ってしまった志村けんさんへのエール、シャンクス、わたサバ、チンパンジー、ヒューマンジー、勾配ニキ、とたけけのDJ、JLCPCB、ソニーパーク展、ZOOM h1n ハンディレコーダー、餃子フェス行ったらryo the skywalkerが歌ってた、京都府立植物園のポエム

今年良くなかった

痔、頭皮の荒れ、Twitter上の議論、花瓶を落として割った、皆連絡が全然こない、値上げラッシュ、貯金が3分の1減った、新コロ(ずっと良くない)、アリやコバエが湧きまくった、給湯器が壊れた、ひろゆきの180度首を回転させる余興、など

来年の抱負・目標

来年はちゃんとリョウコのEPを出せるよう頑張ります、あと仕事ください!

あと関東に出ようと思ってます(作家活動のためではないですが)。出たら関東の皆さん仲良くしてください。イベントも呼びやすくなると思うので程々に呼んでください。