おたくのテクノ

ピアノ男(notピアノ弾き)のブログ

最近買った本、読んでる本、Twitter

読書家と言えるほど読んではないのだが、テレビを見る感覚で最近よく本を読んでいる。最近買った本は次の通り。

  • 津上 英輔 - 美学の練習
  • 井庭崇 - 複雑系入門 知のフロンティアへの冒険
  • 松田修 - 尼人

津上 英輔 - 美学の練習

先日丸善書店へ立ち寄った時に、今関心のある「複雑系」か「デュシャン」の本を買おうと思っていたのだが、いやどうせなら初版が新しい本を買おうと思って色々見てみたら発見。大学の先生が講義内容を基にお書きになった本のようだが、ガイダンスの章で

本書は美学のこれまでに蓄積された理論を紹介するものではない。そうではなく、読者が自ら美術と芸術について考え、その結果を自らの生に活かす手がかりとなることを目的とする

とあるように、過去の研究を全く踏まえない訳ではないのだが、筆者なりの考えで立ち向かう成分の強そうな本であったので、現在進行系で読んでる本と対比してバランスが取れそうだったので買ってみた。まだ28ページまでしか読んでないが、言葉はその手の本にしては比較的平易でありながらも、厳密に議論が進んでる気がする。

井庭崇 - 複雑系入門 知のフロンティアへの冒険

ペギオ先生を経由してこの分野をもっとよく知りたいという気持ちになったため注文、まだ届いてない。最近、複雑系はなぜ廃れたのかみたいなブログ記事を見かけて、なおさら興味が湧いた。

松田修 - 尼人

上の本を買うにあたって、あと少しでクーポンが適用されるという感じだったので一緒に注文。たしか会田誠のツイートで知った。まだ本人の作品を見たことがないのだが、彼の個展のレビューを見て、マリオが死に続ける作品とか、文化資本の地方格差を意識させるバックグラウンドとかが気になったので選んだ。文化資本の問題は自分もこの頃よく考えさせられる。

 

今、読んでる最中の主な本は次の通り。積ん読気味になってるものもあり。

  • 浦上 大輔,郡司 ペギオ幸夫 - セルオートマトンによる知能シミュレーション 天然知能を実装する
  • ピエール・バイヤール - 読んでいない本について堂々と語る方法
  • 松永 伸司 - ビデオゲームの美学
  • 大野左紀子 - アーティスト症候群

浦上 大輔,郡司 ペギオ幸夫 - セルオートマトンによる知能シミュレーション

GPY先生のお弟子さん(とGPY先生)の本。「やってくる」は万人にも読みやすい(いや読みにくいが)フォーマットであるが、こちらはセルオートマトンによる実装ということで理系向け。どっかで「GPY先生が稲妻だとしたら、私は避雷針」みたいなことを浦上先生が言っていて、確かに浦上先生執筆の章は今の所まだついていける。

シミュレーションのpythonコードがWebからダウンロードできるのだが、どれもめちゃくちゃ簡素で不安になってる。

ピエール・バイヤール - 読んでいない本について堂々と語る方法

何で知ったのか忘れたが、移動中読む用に新書サイズのが欲しくて購入。本を読むという行為は実際のところどういう事なのか分析されていて、結局の所それで良いのか?という気持ちと、それで良いんだという気持ちの半々。(まだ読んでる途中なのでこれぐらいのことしか言えない)

松永 伸司 - ビデオゲームの美学

その名の通り、ビデオゲームについて美学的に説明を試みる本。美学初学者的に、そもそも美学の勉強になる。こういうめちゃくちゃ厳密な議論(かなり嫌な言い方をすると、予防線を張りまくる)ってマヌケな俺には全然出来る気がしない……。分析美学ってやっぱ皆こういう感じなのか?でも自分がかつて居た自然科学なんてもっとそんな感じだしな……。

大野左紀子 - アーティスト症候群

のりぴがツイートしてたので読んでみている。香取慎吾ノリタケみたいなポジションのいわゆる「芸能人アーティスト」たちがめちゃくちゃ辛辣なことを言われていて面白い。と同時に、自分だってアカデミックな美術教育を受けていない手前、今後の活動次第でそういうポジションになってしまう可能性がめちゃくちゃあるわけで、身につまされる。

 

また読み終えたり、新しいの読み始めたら書きます。

 

 

ここからはTwitterに対する所見というか、ほぼ愚痴。

Twitterを始めてそろそろ14年になるだろうか。ここ数ヶ月は、いや数年かもしれないのだが、結構苦しみながらツイートをしている。自分が見える範囲での世の中にすらついていけてないのをまざまざと感じさせられるし、数字がひたすらに辛い。

「ツイートの表示回数」は皆も思ってると思いたいが、最も悪。あえてツイッターのアプリをアップデートしなかったり、Chrome拡張を使用することで自分からは非表示にしているが、結局他の人からは見えているのが問題。表示回数が回らなくなるようなツイートを避ける行動を、無意識のうちに強く内面化してしまうのだ。ツイッターアルゴリズムがオープンになり、どういうツイートが加点され減点されるのかが明らかとなったため、それは更に強化される。こういう相互監視を加速させるようなシステムの中で、自分はもはや昔のような面白ツイーティングというのはできない。そんな事を言ったら、フォロワーとかファボとかが数字で見える時点で邪悪ではあったのだが……より邪悪さが露骨になった感じ。

こんなものがあったところで、気にしない人は気にしないで自由闊達なツイートをするのだが、自分はかなり臆病者だと自認していて、そういう人には極めて息苦しいのである。そういうわけで、当分はmixiと本ブログをTwitterの代替とします。本当はアカウントも消したいのだが、活動のかなりの部分をTwitterに依存してきた手前、消すといよいよ完全に仕事が来なくなりそうなので……。